田作りの由来 なぜ田を作る?江戸の本が書いた肥やしと豊作
この記事の目次
元禄のころの食べものの本『本朝食鑑』は、干した鰮(いわし)を刻んで灰に混ぜ、田畑にやると稲がよく実るので、「因號乾鰮曰田作」、干した鰮を田作と呼ぶのだ、と書いています。おせちの田作り(たづくり)は、小さなイワシを炒って甘辛くからめた一品で、ごまめとも呼び、田作りの由来として農林水産省のサイトも「材料のカタクチイワシを田畑の肥料に使ったことから、豊作」と説明していますが、その説明は元禄の本にそのまま書いてありました。ただ、江戸の本はこの一つに揃っていたわけではなく、田植えどきのごちそうだから、という別の説明も残しています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻一・毛利梅園・NDL PID:1287112 コマ9・著作権保護期間満了)
上の図は毛利梅園の写生で、左上の干したごまめには「乾鯷魚 俗曰田作」と題があり、右下の二尾が生のカタクチイワシ、中央の赤い魚はホウボウです。
歳時記の目録に並ぶ三つの名前
どの本を開けばいいのかの手がかりにしたのは、正月の食べもののことを集めた江戸の歳時記で、天明3年(1783年)の『華実年浪草(かじつとしなみぐさ)』の目録に、こんな並びがあります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『華実年浪草』12巻のうち第1冊・鵜川麁文・天明3年・NDL PID:2556900 コマ18・著作権保護期間満了)
「田作」「小殿原」、そしてその前に「俵子」とあって、本文を開くと三つとも同じ魚、ごまめの呼び名だと書いてあります。同じ列には押鮎、海蠃身、螺肴、数子と、正月の祝いの食べものが続けて並んでいて、ごまめもそのなかの一品として扱われていました。歳時記は説明のなかでもとの本の名前を挙げてくれるので、そこから江戸の絵入り百科事典『和漢三才図会』と、食べものの本『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』へ降りていきました。『本朝食鑑』は人見必大(ひとみ・ひつだい)が元禄のころにまとめた本で、日本の食べものを一つずつ取り上げ、名前の由来、産地、味、体への効き目を漢文で書いていて、イワシは巻八のコマ175から始まります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本朝食鑑』巻八・人見必大・NDL PID:2557333 コマ176・著作権保護期間満了)
産地の話がしばらく続いたあとで、話は干したイワシに移ります。
刻んで灰に混ぜ、田にやる魚
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本朝食鑑』巻八・人見必大・NDL PID:2557333 コマ176・著作権保護期間満了)
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翻刻
號曰鱓、訓伍真米。鱓本鰻鱺之類、今訛名之歟。京師五畿勢賀濃尾及四國中國西海東北諸州、倶種稲粱者、以乾鰮細剉和灰而培之、或和糞汁亦有之。故稲粱豊盈、米秔甘實。因號乾鰮曰田作。又
現代語訳
(干したものを)鱓と呼び、「ごまめ」と読む。鱓はもともとウナギのたぐいの字で、いまは誤ってこう名づけているのだろうか。京都とその周り、伊勢・近江・美濃・尾張から四国・中国・西海・東北の国々まで、稲や粟を作る者はみな、干した鰮を細かく刻んで灰に混ぜ、田畑にやる。下肥に混ぜることもある。だから稲や粟はよく実り、米は甘く実が入る。そこで干した鰮を「田作」と呼ぶ。
「號曰鱓 訓伍真米」と、干したものを鱓と書いて「ごまめ」と読む、と書いてから、「種稲粱者 以乾鰮細剉和灰而培之」、稲や粟を作る者は干した鰮を細かく刻み、灰に混ぜて田畑にやるのだ、と続け、京都のまわりから四国、中国、西国、東北まで、どこでもそうしている、と必大は書いています。そして「故稲粱豊盈 米秔甘實」、だから稲や粟はよく実り、米は甘く実が入る、と結果を書いたあとに、名前の話が来ます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本朝食鑑』巻八・人見必大・NDL PID:2557333 コマ176・著作権保護期間満了)
田の肥やしになって米をよく実らせる、田を作る魚だから田作り、という、いま言われている由来がそのまま書いてありました。必大はこの小さな魚をずいぶん高く買っていて、値段はごく安いのに役に立つことは大きいと言い、「謂魚中之貨殖 惟鯨與鰯耳」、魚のなかで財を生むものといえば鯨と鰯だけだ、とまで書いています。
祝いの膳にのるわけと、もうひとつの名前
続く列で、話は正月の膳に移ります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本朝食鑑』巻八・人見必大・NDL PID:2557333 コマ176・著作権保護期間満了)
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翻刻
用乾鰯亦若此、號曰乾鰯也。倶是聲價極賤、利用増貴。以漁家一年所……諸魚之價而論之、則鰯之利用十倍焉。於是謂魚中之貨殖、惟鯨與鰯耳。今世歳賀昏儀之供膳、必以乾鰮、大豆、或塩乾鰯、……乾小鯛、盛于食器、為規祝之供。此亦取田作之義歟。或稱小殿腹、而祝子孫繁榮之義也。凡乾鰮人
現代語訳
干した鰯を使うのも同じで、これを「ほしか」と呼ぶ。どちらも値段はごく安いのに、役に立つことは大きい。漁師が一年に獲る魚の値で比べれば、鰯の役立ちは十倍である。魚のなかで財を生むのは、鯨と鰯だけだと言える。いまの世では、正月の祝いや婚礼の膳に、かならず干した鰮、大豆、あるいは塩干しの鰯、干した小鯛を器に盛り、祝いの供えものにする。これもまた「田作」の意味を取ったのだろうか。あるいは「小殿腹(ことのばら)」と呼んで、子孫繁栄を祝う意味である。
「今世歳賀昏儀之供膳 必以乾鰮」、いまの世では正月の祝いと婚礼の膳にかならず干した鰮を使い、大豆や干した小鯛といっしょに器に盛って祝いの供えものにする、と書き、その理由を「此亦取田作之義歟」、これもまた田作の意味を取ったのだろうか、と推しはかっています。田を作る、つまり豊作という名前のめでたさを祝いの膳に借りたという見立てで、「歟」で結んでいるので必大も言い切ってはいません。そのあとに、もうひとつの理由が続きます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本朝食鑑』巻八・人見必大・NDL PID:2557333 コマ176・著作権保護期間満了)
「或稱小殿腹 而祝子孫繁榮之義也」。あるいは小殿腹(ことのばら)と呼んで、子孫繁栄を祝う意味である――。
田作りの意味はふつう豊作と説明されますが、元禄の本は、同じ魚のもうひとつの名前「ことのばら」に、子孫繁栄の願いも読んでいたことになり、ひとつの小魚に、豊作と子だくさんのふたつの祝いが重なっています。
梅園の書き入れは田植えのごちそう
ところが、冒頭の絵を描いた毛利梅園は、違う由来を書き入れています。絵の年記は「壬辰」で、天保3年(1832年)にあたります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻一・毛利梅園・NDL PID:1287112 コマ9・著作権保護期間満了)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻一・毛利梅園・NDL PID:1287112 コマ9・著作権保護期間満了)
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翻刻
鰮ノヤヽ大ナルヲ田作ト云五月農夫ノ苗ヲ挟ム時最多ク是ヲ美饌トス故ニ田作リト云 則ゴマメ也
現代語訳
イワシのやや大きいものを「田作」という。五月、農夫が苗を植えるときにいちばん多く、これをごちそうにする。だから「田作り」という。すなわち「ごまめ」である。
「五月農夫ノ苗ヲ挟ム時 最多ク是ヲ美饌トス」、五月、農夫が苗を植えるときにいちばん多く、これをごちそうにするので、「故ニ田作リト云」、だから田作りという、というのです。肥やしではなく食べるほうで、田植えどきのごちそうだから田作りという、『本朝食鑑』とは別の説明が、江戸の本のなかにはありました。
正字の分からないごまめと、三つの祝語
寺島良安(てらじま・りょうあん)の『和漢三才図会』は、イワシの項のなかにごまめの見出しを立てています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『和漢三才図会』巻四十九・寺島良安編・江戸時代刊・NDL PID:2596381 コマ36・著作権保護期間満了)
見出しの「五万米」は、ごまめの音にあてた字で、良安は「正字未詳」、正しい字はわからない、と添え、別の名を「田作」、また「古止乃波良(ことのばら)」としています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『和漢三才図会』巻四十九・寺島良安編・NDL PID:2596381 コマ36・著作権保護期間満了)
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翻刻
五万米鰮(ゴマメイハシ) 正字未詳。一名田作。又云古止乃波良。 漁家海邊石上或簀上攤乾小鰮也。阿波之産為上。貯之耐久、無脂臭。和諸物煮食亦佳。常為嘉祝之供、與鮑熨斗並用。干鰯(ほしか) 與五万米同。乾時不撰地、不論大小、……乾盛筵、運送市中。用為田畠培糞。諸國多出、房州最多。
現代語訳
ごまめ。正しい字はわからない。一名「田作」。また「ことのばら」ともいう。漁師が海辺の石の上や簀の上に広げて干した、小さいイワシである。阿波のものが上等。たくわえても長くもち、脂の臭みがない。ほかのものと煮て食べてもうまい。いつも祝いの供えものにし、のしあわびと並べて使う。干鰯(ほしか)は、ごまめと同じもの。干すとき場所を選ばず、大小も問わない。干したものを筵に盛って町へ運び、田畑の肥やしにする。諸国で多く出るが、安房がいちばん多い。
本文はまず、ごまめを漁師が海辺の石や簀の上に広げて干した小さいイワシだと説明し、阿波の産が上等で、長く貯えても脂臭くならず、ほかのものと煮て食べてもよい、と書いてから、「常為嘉祝之供 與鮑熨斗並用」、いつも祝いの供えものにして、のしあわびと並べて使う、とあります。すぐ隣は「干鰯(ほしか)」の項で、「與五万米同」、ごまめと同じもので、「用為田畠培糞」、田畑の肥やしにする、諸国から多く出るが房州がいちばん多い、と書かれているので、祝いの膳にのる魚と田の肥やしになる魚が、同じ見開きに並んでいることになります。のしあわびのほうは「のし」の由来はアワビの記事で読んでいます。
三つの名前の使い分けを書きとめていたのは、はじめの歳時記『華実年浪草』でした。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『華実年浪草』第1冊・鵜川麁文・天明3年・NDL PID:2556900 コマ42・著作権保護期間満了)
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翻刻
○春耕糸切歯ニ云、俵子ハゴマメ也。小殿原ハ武家ノ祝語、田作ハ農家ノ祝語、俵子ハ商家ノ祝語
現代語訳
『春耕糸切歯』にいう。俵子はゴマメである。小殿原は武家の祝い言葉、田作は農家の祝い言葉、俵子は商家の祝い言葉。
「小殿原ハ武家ノ祝語 田作ハ農家ノ祝語 俵子ハ商家ノ祝語」と、ことのばらは武家の、田作は農家の、俵子(たわらご)は商家の祝いことばだとして、同じ小魚を家の商売によって呼び分けていた、というのです。農家は田が実るように田作と呼び、武家が使う小殿原は、『本朝食鑑』が子孫繁栄の意味だと書いた、あの名前でした。
田の肥やしにしたから田作り、という由来は、元禄の『本朝食鑑』までさかのぼれる一方で、天保の梅園は田植えどきのごちそうだからと書いていて、江戸の本の中でも説明は一つではありませんでした。祝いの意味のほうも、豊作だけではなく、「ことのばら」の名にかけた子孫繁栄が重ねられていたのです。
同じ祝い肴の数の子も、子孫繁栄の魚でした。数の子の意味と由来の記事で原本を読んでいます。ごまめが出てくることわざは「ごまめの歯ぎしり」の意味と由来へ。

この記事でわかったこと
干したイワシを田の肥やしにすると稲がよく実ったことからです。
『本朝食鑑』は「種稲粱者以乾鰮細剉和灰而培之」「故稲粱豊盈米秔甘實 因號乾鰮曰田作」と書いています(NDL PID:2557333 コマ176)。毛利梅園は別に、田植えどきのごちそうだから「故ニ田作リト云」と書き入れています(NDL PID:1287112 コマ9)。
農林水産省のサイトは「材料のカタクチイワシを田畑の肥料に使ったことから、豊作」と説明しています。
『本朝食鑑』は祝いの膳に干した鰮を盛ることを「此亦取田作之義歟」とし、続けて「或稱小殿腹 而祝子孫繁榮之義也」、子孫繁栄を祝う意味もあると書いています(NDL PID:2557333 コマ176)。
江戸の本では同じものの別名です。
『和漢三才図会』は見出し「五万米鰮」に「一名田作 又云古止乃波良」と添えています(NDL PID:2596381 コマ36)。『華実年浪草』は「小殿原ハ武家ノ祝語 田作ハ農家ノ祝語 俵子ハ商家ノ祝語」と、家による呼び分けを書いています(NDL PID:2556900 コマ42)。
小さなイワシを干したものです。
『和漢三才図会』は「漁家海邊石上或簀上攤乾小鰮也」、漁師が海辺の石や簀の上に広げて干した小さいイワシ、と書いています(NDL PID:2596381 コマ36)。農林水産省は材料をカタクチイワシとしています。
この記事で開いた原本
どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。
- 梅園魚品図正.巻1
毛氏梅園元寿<毛利梅園>//撰輯 天保6(1835)序
- 華実年浪草 12巻.[1]
鵜川麁文 天明3 [1783]
- 本朝食鑑 12巻.[2]
丹岳野必大千里 著 [江戸時代]
- 和漢三才図会 : 105巻首1巻尾1巻.[34]
寺島良安尚順 編 [江戸時代]
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