
魚の数え方一覧 タコの「一杯」は誤りと書いた江戸の本
魚の数え方を、江戸から明治の本で一覧にしました。鯛は一枚、鮭は一尺、鰹は一本、烏賊と蛸は一抔。ところが江戸のはじめの作法書は、蛸を「一はい」と数えるのを誤りとし、貝は「家を持つ」から一はいだと書いています。

魚の数え方を、江戸から明治の本で一覧にしました。鯛は一枚、鮭は一尺、鰹は一本、烏賊と蛸は一抔。ところが江戸のはじめの作法書は、蛸を「一はい」と数えるのを誤りとし、貝は「家を持つ」から一はいだと書いています。

雑煮の関東と関西の違いは、江戸時代の『守貞謾稿』にもう書いてあります。大坂は味噌仕立てに丸餅、膳に塩鯛。江戸は切り餅に鰹節の醤油だし。越後長岡の答えには鮭の塩引とはらら子がありました。

魚へんの漢字
魚へんの漢字一覧です。鯵・鮎・鰯から鱒まで48字の読み方と、江戸の本が書いた由来を表にまとめました。鯉は「鱗有十字文理」、鱧は「从禮省」、鱈の雪は本ごとに三通り。原本の画像で確かめます。

魚と貝
年取り魚は東がサケ、西がブリ。『和漢三才図会』は塩鰤を「歳末之嘉祝」、江戸の読み物は「塩引の鮭の一本もあつたら正月は出来る」と書きました。大正8年の報告書では長野の年取肴が塩鰤です。

おせちの意味の一覧を江戸の原本で確かめます。数の子は「取多子之義」、海老は野老とそろえた海の老人、昆布は「悦ブト云義ヲ含ム」、ブリは「出世魚と称して」。鯛だけは、江戸の本が「未知」と書いていました。

魚と貝
田作りの由来を江戸の原本で確かめます。『本朝食鑑』は干した鰮を田の肥やしにすると稲が実るので「因號乾鰮曰田作」。祝いの膳にのるのは豊作と、別名「ことのばら」にかけた子孫繁栄。梅園は田植えのごちそう説。

魚と貝
数の子の由来と意味を江戸の原本で確かめます。名前は「かどの子」、ニシンの古い名から。おせちに入れる理由は『和漢三才図会』が「取多子之義」、梅園は「子孫繁榮ノ義ヲトル」と書きました。戻し方は水に四五日。

魚のことば
出世魚の一覧と順番を江戸の原本で確かめます。ブリはツバス・メジロ・ハマチ、ボラは江鮒・イナ、スズキはセイゴ。1808年の本は鰤を「出世魚と称して」歳暮に使うと書き、明治には鯉も出世魚でした。

鮭を人の手で殖やす「種川」。三面川で宝暦年間に始まったと明治の報告書は記しますが、同じ村上の石碑の碑文は少し違う順序で書いています。仕掛けの中身と始まりの年代を、二つの資料の原本画像で読み比べます。

金魚の飼育は江戸時代にどこまで進んでいたのか。寛延元年(1748年)の『金魚養玩草』には、産卵日を狙って餌を絞る「子とりやうの秘術」から、稚魚に蚊の幼虫を与える餌の切り替え、池の毒まで書かれていました。原本画像で読みます。

鯛の養殖といえば卵から育てる現代の技術ですが、江戸にあったのは「生きたまま持たせる」技術でした。周防の浦は簀船で四か月鯛を生かし、江戸には「活鯛納人」という職がありました。原本画像で読みます。

浅草海苔の由来は、浅草で採れたからではありません。天保の農書は「品川より壱里程西、大森の海に麁朶をさして取、浅草にてひさぐゆゑ」と書いています。楢の木を海に植えて海苔を育てる江戸の技術を、原本画像で読みます。