魚へんに安の読み方はアンコウ|鮟鱇の漢字の由来は「未見出處」
この字、読めますか?
鮟鱇
- 音
- アン・コウ
- 画数
- 17+22画
この記事の目次
宝永6年(1709年)の『大和本草(やまとほんぞう)』で、貝原益軒は鮟鱇という呼び名について「未見出處」、出どころを見たことがないと書き、さらに「恐可為妄称」と続けました。冬の鍋の主役のアンコウは、漢字で書くと魚へんに「安」、魚へんに「康」の「鮟鱇」で、安らかで健やかと縁起のよさそうな字面ですが、その由来を江戸の学者自身が知らなかったことになります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻二・毛利梅園・天保6年序・NDL PID:1287113 コマ39・著作権保護期間満了)
開いた江戸の本草書・百科事典・図譜の三冊は、どれも見出しに「鮟鱇」を使わず、中国の名前を立てていました。
「鮟鱇」の基本データ
- 読み
- あんこう。音はアン・コウ
- 画数
- 鮟は17画、鱇は22画
- 形
- 魚へんに「安」と、魚へんに「康」
- 江戸の字
- 開いた三冊の見出しはどれも中国名の「華臍魚」。鮟鱇は世間の呼び名
- 由来
- 貝原益軒は「未見出處。恐可為妄称」。出どころを見たことがないと書いた
- 難易度
- 上級
読みと画数は Unicode の Unihan Database(U+9B9F・U+9C47)による
本を探すときは、国立国会図書館の次世代デジタルライブラリーで、「鮟鱇」のほか中国名の「華臍魚」「琵琶魚」でも引いて項を探しました。最初に開いたのは、寺島良安(てらじま・りょうあん)の絵入り百科事典『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』のうち、海のうろこのない魚を集めた巻五十一のコマ21です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『和漢三才図会』巻五十一・寺島良安編・江戸時代刊・NDL PID:2596382 コマ21・著作権保護期間満了)
良安の見出しは「華臍魚」、あんこうは万葉仮名で
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『和漢三才図会』巻五十一・寺島良安編・江戸時代刊・NDL PID:2596382 コマ21・著作権保護期間満了)
見出しの「華臍魚」は中国の地方志に出てくる名前で、脇には「老婆魚」「綬魚」「琵琶魚」と別名が並び、日本での呼び名は「俗云阿牟古宇」、世間では「あむこう」と言う、と万葉仮名で書いてあります。「鮟鱇」の二字は、見出しにも脇の別名にも出てきません。
見出しの右の振り仮名を拡大すると、「あんこう」ではなく「あんごう」で、三字目の「こ」の肩に濁点が二つ打ってあります。万葉仮名の「阿牟古宇」のほうは「古」で濁らないので、同じ見出しの中に「あんごう」と「あむこう」の二通りの書き方が並んでいることになります。
本文は中国の地方志の説明から始まり、腹に帯のようなものがあって子がそこについて生まれるので「綬魚」、形が琵琶に似ているので「琵琶魚」と、中国での名前にはそれぞれ見た目の理由がついていました。良安自身の説明(按)には江戸のアンコウの食べ方も出てきて、東の海に多く、十月に出はじめて最も賞味され、夏と秋にはまったくいない、と書いたあとで、さばき方に移ります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『和漢三才図会』巻五十一・寺島良安編・江戸時代刊・NDL PID:2596382 コマ21・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
(割)之有法、呼曰釣切。其法以縄貫下唇懸于屋梁、入水於口可五六升、水自口溢為度。先切頸喉外皮、而次剥周
現代語訳
(アンコウを)さばくには決まったやり方があり、釣切(つるしきり)と呼ぶ。そのやり方は、縄を下くちびるに通して屋根の梁につるし、口から水を五、六升ほど入れ、水が口からあふれるまでにする。まず首とのどの外の皮を切り、次にまわりを剥ぐ……。
「呼曰釣切」の振り仮名は「ツルシキリ」です。下くちびるに縄を通して梁につるし、口から水を五、六升入れてからさばくという手順で、今も続くアンコウの吊るし切りが、江戸の百科事典にもう書かれていました。
益軒は出どころを見たことがないと書いた
貝原益軒(かいばら・えきけん)の『大和本草』も、魚の巻である巻十三のコマ27で、見出しは同じ「華臍魚」です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大和本草』第7冊 巻13・14・貝原篤信・宝永6年・NDL PID:2557359 コマ27・著作権保護期間満了)
益軒も中国の本から「老婆魚」「綬魚」「琵琶魚」の名を引き、そのあと「○」で段を改めて、日本での呼び名にふれています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大和本草』第7冊 巻13・14・貝原篤信・宝永6年・NDL PID:2557359 コマ27・著作権保護期間満了)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大和本草』第7冊 巻13・14・貝原篤信・宝永6年・NDL PID:2557359 コマ27・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
○國俗鮟鱇ト称ス。未見出處。恐可為妄称。坂東ニ多シ。尤珍賞ス。西州ニハマレナリ。臛トシテ食フ。味甚ス……
現代語訳
世間では鮟鱇と呼ぶ。(この名の)出どころを見たことがない。おそらく、根拠のない呼び名であろう。関東に多く、たいへん珍重する。西国ではまれである。汁物(臛)にして食べる。味はとても……(次のコマ28へ「スクレタリ。上品トス」と続く)。
「國俗鮟鱇ト称ス」で世間ではそう呼ぶと認めたうえで、「未見出處」、その出どころを見たことがないので、「恐可為妄称」、おそらくいいかげんな呼び名だろう、と見ていたわけです。
続く「坂東ニ多シ。尤珍賞ス。西州ニハマレナリ」は、関東に多くとても珍重されるが西国ではまれ、という意味で、アンコウが東の魚だったことは良安の東の海に多いという記述とも合います。「臛トシテ食フ」(臛の振り仮名はアツモノ)のあと文は次の丁へ続き、コマ28を開くと「味甚スクレタリ。上品トス」とあって、名前は疑っても味はとても優れた上等の品だ、と益軒は書いていました。
梅園の図譜も「國俗」とした
冒頭に置いた毛利梅園(もうり・ばいえん)の図は、天保6年(1835年)の序がある『梅園魚品図正(ばいえんぎょひんずせい)』巻二のコマ39です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻二・毛利梅園・天保6年序・NDL PID:1287113 コマ39・著作権保護期間満了)
梅園も中国の本の名前を先に並べていて、「寧波府志 華臍魚 一名老婆魚 一名綬魚」「呉都賦曰 琵琶魚」のあとに大きく「蝦蟇魚」(振り仮名ガマ)と書き、その下に小さく「國俗 鮟鱇ト称」と添えています。いちばん左の列は「國俗小ナル者ヲクツアン□ト云」で、小さいものを世間では「クツアン」で始まる名で呼ぶという書き添えですが、「アン」の次の一字は横棒が二本並んだ形で、「コ」とも「ニ」とも読み切れないので伏せておきます。
三冊とも世間の呼び名として扱っていた
良安の『和漢三才図会』は日本の呼び名を「俗云阿牟古宇」と万葉仮名で書いて鮟鱇の字を出さず、1709年の益軒は「國俗鮟鱇ト称ス。未見出處。恐可為妄称」、1835年序の梅園は「國俗 鮟鱇ト称」と書きました。今回開いた江戸の三冊はそろって中国の名前「華臍魚」を見出しに立て、「鮟鱇」を世間の呼び名として扱っていたことになります。
魚へんに「安」と「康」を当てたわけは、どの本にも書かれていませんでした。わかるのは、江戸の学者もこの字の出どころを知らなかった、ということまでです。
鮟鱇
- 読みは「あんこう」。魚へんに安と康
- 開いた江戸の三冊の見出しは、そろって中国名の「華臍魚」
- 貝原益軒は「國俗鮟鱇ト称ス。未見出處」。出どころを見たことがない
- 安と康を当てたわけは、開いた本には書かれていなかった
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この記事でわかったこと
江戸の本は由来を書いていません。
貝原益軒『大和本草』は「國俗鮟鱇ト称ス。未見出處。恐可為妄称」(世間では鮟鱇と呼ぶが出どころを見たことがなく、いいかげんな呼び名だろう)と書いています(NDL PID:2557359 コマ27)。
『和漢三才図会』『大和本草』『梅園魚品図正』はどれも見出しを「華臍魚」とし、「老婆魚」「綬魚」「琵琶魚」を別名に挙げています(NDL PID:2596382 コマ21、PID:2557359 コマ27、PID:1287113 コマ39)。『和漢三才図会』は日本の呼び名を「俗云阿牟古宇」と万葉仮名で書いています。
『和漢三才図会』に「呼曰釣切」(振り仮名ツルシキリ)とあり、縄を下くちびるに通して梁につるし、口から水を五、六升入れてからさばくと書かれています(NDL PID:2596382 コマ21)。
この記事で開いた原本
どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。
- 梅園魚品図正.巻2
毛氏梅園元寿<毛利梅園>//撰輯 天保6(1835)序
- 和漢三才図会 : 105巻首1巻尾1巻.[35]
寺島良安尚順 編 [江戸時代]
- 大和本草 16巻附録2巻諸品図2巻.[7]
貝原篤信 宝永6 [1709]
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