魚へんの国字 鰯・鱈・鰆を江戸の学者は「倭字」と呼んだ
この記事の目次
宝永6年(1709年)刊の『大和本草(やまとほんぞう)』の凡例に、「鱈鰆鰯魳鮟鱇」と魚へんの字が並び、世間が正しい字を知らずにこしらえた字の例に挙げられています。中国から来たのではなく日本で作られた字を国字と呼びますが、鰯や鱈や鰆といった魚へんの国字は、300年前の本ですでに日本製の字として名指しされていました。書いたのは福岡の儒学者・貝原益軒(1630〜1714年)で、薬になる草木や動物、鉱物を調べる本草の学問を、日本の産物について書いた本です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚品図正』巻一・NDL PID:1287112 コマ11・著作権保護期間満了)
毛利梅園のこの絵の書き入れにも、イワシの字が「鰮」と「鰯」の二つ出てきます。江戸の学者がどちらを本来の字と考えていたかは、益軒の本を読むとはっきりします。
江戸の人は日本で作った字を国字とは限らず、「倭字」「和字」「本朝所製(日本で作った)」などと書いたので、次世代デジタルライブラリーで江戸以前の古典籍に絞って「倭字」と引いてみると、224冊が出てきました。見つかった箇所の前後を読んでいくうちに、魚へんの字がずらりと並ぶ本に行き当たったのが『大和本草』で、場所は本文の前に置かれた「凡例」、この本の使い方の断り書きの見開き、コマ25でした。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大和本草』16巻附録2巻諸品図2巻[1]・貝原篤信・宝永6年・NDL PID:2557353 コマ25・著作権保護期間満了)
左ページの箇条は、日本の古い本や世間で使っている草木・鳥獣・魚の字には誤っているものが少なくない、という話から始まり、その先に問題の列が続きます。
「みだりに倭字を作る者多し」と書いた凡例
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大和本草』[1]・貝原篤信・宝永6年・NDL PID:2557353 コマ25・著作権保護期間満了)
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翻刻
妄謬甚多、不可枚擧。又國俗不知正字、而妄作倭字者多矣。如鱈鰆鰯魳鮟鱇……等是
現代語訳
(誤った訓は)はなはだ多く、いちいち挙げきれない。また世間では正しい字を知らずに、みだりに倭字(日本で作った字)をこしらえることが多い。鱈・鰆・鰯・魳・鮟鱇……などがそれである。
「又國俗不知正字、而妄作倭字者多矣」、また世間では正しい字を知らずに、みだりに倭字をこしらえることが多い、と書いて、例に挙げるのが「鱈鰆鰯魳鮟鱇」です。それぞれの字の脇には、タラ、サハラ、イハシ、カマス、アンカウと振り仮名がついています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大和本草』[1]・貝原篤信・宝永6年・NDL PID:2557353 コマ25・著作権保護期間満了)
このあとに鮱(ボラ)、さらに貝や木、米の字が続き、「等是也(などがそれである)」で結ばれます。鱈も鰆も鰯も鮟鱇も今の私たちがふつうに書く字ですが、益軒はそれを、正しい字を知らない世間が作った字として並べていました。一覧を出したのには理由があって、すぐ隣の列で、自分の本での方針を宣言しています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大和本草』[1]・貝原篤信・宝永6年・NDL PID:2557353 コマ25・著作権保護期間満了)
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翻刻
予之作此書也、有志欲正于舊俗之非、故不用錯訓與俗字、而代之以正字與正訓。若無正字正訓、則姑用俗字俗名、亦間有之
現代語訳
私がこの本を作ったのは、古くからの習わしの誤りを正したいという志があってのことだ。だから誤った訓と俗字は使わず、正しい字と正しい訓に置きかえた。正しい字や訓がないものは、ひとまず俗字や俗名を使ったところも、ときにはある。
この本を作ったのは古い習わしの誤りを正したいという志があってのことなので、誤った訓と俗字は使わず、正しい字と正しい訓に置きかえた、という宣言です。ただし、正しい字や訓がないものはひとまず俗字や俗名を使ったところもある、と断っていて、国字は益軒にとって、できるだけ使わないようにする字でした。
一覧表では「倭字」を枠で囲んだ
同じ本の巻一のコマ57には、「日本古書及世俗誤訓倭名」、つまり日本の古い本や世間が誤って当てている字の一覧表があり、いくつかの字の下に、枠で囲んだ注記がついています。食べ物、草、木と続いて、ページの左端に魚の字が並びます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大和本草』[1]・貝原篤信・宝永6年・NDL PID:2557353 コマ57・著作権保護期間満了)
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翻刻
鱈魚 鮟鱇 鰆〔倭字〕鰯〔倭字〕 鱧 王餘魚
現代語訳
「日本の古書や世間の誤った訓」の一覧の、魚の段。鰆(サハラ)と鰯の下に、枠で囲んで「倭字」と注している。
鰆と鰯の下に、枠で囲んで「倭字」。凡例で言ったことを、表の中でも一字ずつ印をつけて示しているのです。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大和本草』[1]・貝原篤信・宝永6年・NDL PID:2557353 コマ57・著作権保護期間満了)
表は次のコマ58に続き、1列目にはまた魳(カマス)や鮱が出てきて、最後は「右國俗自古所誤訓、此其大略也」、右は世間が昔から誤って読んできたもので、これはそのあらましにすぎない、と結ばれています(NDL PID:2557353 コマ58)。
本文の見出しには国字を立てなかった
国字を使わないと宣言した益軒が本文でタラやサワラをどう書いたかは、魚をまとめた巻十三を開くと分かります。巻の書き出しからして、字の話です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大和本草』第7冊 巻13・14・貝原篤信・宝永6年・NDL PID:2557359 コマ3・著作権保護期間満了)
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翻刻
……凡國俗所称品物之名字誤認者甚多矣。就中魚名古来所称之文字傳誤而非正者最多矣。可謂習而不察也。……
現代語訳
およそ世間で呼んでいる品物の名や字には、誤って覚えているものがはなはだ多い。なかでも魚の名は、昔から呼んできた字が誤りを伝えて、正しくないものがいちばん多い。慣れてしまって気づかない、と言うべきだ。
「就中魚名古来所称之文字傳誤而非正者最多矣」。なかでも魚の名は、昔から呼んできた字が誤りを伝えて正しくないものがいちばん多く、慣れてしまって気づかないのだ――。
サワラは「馬鮫魚」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大和本草』第7冊 巻13・14・貝原篤信・宝永6年・NDL PID:2557359 コマ29・著作権保護期間満了)
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翻刻
馬鮫魚(サハラ) 魚大ナレトモ腹小ニ狹シ、故ニ狹腹ト名ツク……
現代語訳
馬鮫魚(さわら)。魚は大きいが腹が小さく狭い。だから狭腹(さはら)と名づける――。
見出しは「馬鮫魚」で振り仮名がサハラ、鰆の字は使っていません。本文は「魚大ナレトモ腹小ニ狹シ、故ニ狹腹ト名ツク」と、大きな魚なのに腹が狭いから「狭腹(さはら)」だ、という名前の説明になっています。
それから90年ほどのち、寛政10年(1798年)の序をもつ『日本山海名産図会』は、この益軒の見出しをそのまま受けています。巻之三のサワラの項で「鰆の字亦国俗の制なり」、鰆の字もまた日本で作ったものだと書き、続けて「大和本草馬鮫魚に充たり」と益軒の説を引いているのです(NDL PID:2575828 コマ18)。この本の鰆の話は、鰆の漢字の由来は「狭腹」の記事でくわしく読んでいます。
タラは「夻魚」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『栗氏魚譜』第8冊 巻14・栗本丹洲著・写本・NDL PID:1287426 コマ36・著作権保護期間満了)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大和本草』第7冊 巻13・14・貝原篤信・宝永6年・NDL PID:2557359 コマ23・著作権保護期間満了)
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翻刻
夻魚(タラ) 東醫寶鑑曰、夻魚俗名大口魚……
現代語訳
夻魚(たら)。『東医宝鑑』にいう、夻魚は俗に大口魚という――。
タラの見出しは、大の下に口を書く「夻魚」で、振り仮名はタラです。続けて朝鮮の医書『東医宝鑑』を引き、「夻魚俗名大口魚」、夻魚は俗に大口魚という、としていて、見出しに鱈の字は使っていません。
じつは『大和本草』より12年早く、元禄10年(1697年)の『本朝食鑑』が、鱈を日本製の字だと書いていました。巻八の鱈の項に「鱈字古書未見之、本朝所製也」、鱈の字は古い書物に見えず日本で作ったものだ、とあります(NDL PID:2557333 コマ163)。ただしこちらは「然於義相協」、意味にはかなっている、と続け、聞くところでは鱈は冬の初雪のあとに多くとれるので字が雪に従うのだろうか(「曽聞、鱈魚當冬月初雪之後必多採之。故字從雪歟」)とも書いて、鱈の字を見出しに使っています。同じ日本製の字でも、益軒よりずっと好意的です。鱈の字とことばの話は、「たらふく」の語源の記事にまとめました。
ボラは「鯔魚」
コマ39のボラの項も、凡例で倭字に数えた鮱ではなく「鯔魚」を見出しにしていて、本文は「又和名口女、伊勢鯉、又名吉ト云」と続きます(NDL PID:2557359 コマ39)。ボラの呼び名の話は、「とどのつまり」の語源の記事で追いかけました。
イワシは「鰯」の字を認めつつ「鰮」を引く
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大和本草』第7冊 巻13・14・貝原篤信・宝永6年・NDL PID:2557359 コマ30・著作権保護期間満了)
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翻刻
順和名鰯、和名イハシ、本文未詳トイヘリ。今俗モ鰯ノ字ヲ用ユ。閩書曰、鰮ハ似馬鮫魚而小、有鱗、大者數……
現代語訳
源順の『和名抄』は「鰯、和名イハシ」とし、出典はわからないと言う。いまも世間は鰯の字を使う。『閩書』にいう、鰮は馬鮫魚(さわら)に似て小さく、鱗がある――。
イワシの項は、字の出どころから書き始めています。源順(みなもとのしたごう)の『和名抄』は「鰯、和名イハシ」としているが出典はわからないと言っていて、いまも世間は鰯の字を使う、そして中国の『閩書』には「鰮」とある、という順です。
冒頭の梅園の書き入れも、「閩書曰 鰮 和名イハシ」「順和名抄 鰯イワシ 本文不詳」と、まったく同じ二つの字を並べていました。平安時代の辞書にある「鰯」と、中国の本にある「鰮」を、江戸の学者は見比べていたのです。凡例で鰯を倭字に数えた益軒にとって、本来の字は『閩書』の「鰮」のほうだったことになります。鰯の字がなぜ「弱」なのかを江戸の学者が考えた話は、鰯の漢字の由来の記事で読んでいます。
退けた字と、立てた見出し
1709年の『大和本草』で益軒が倭字と名指しした字と、本文の見出しを見比べると、次のようになります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大和本草』第7冊 巻13・14・貝原篤信・宝永6年・NDL PID:2557359 コマ23・29・39・著作権保護期間満了)
鱈(タラ)は「夻魚」、鰆(サハラ)は「馬鮫魚」、鮱(ボラ)は「鯔魚」を見出しにしていて、鰯(イハシ)だけは世間が鰯の字を使うと認めたうえで『閩書』の「鰮」を引いています。魳(カマス)と鮟鱇(アンカウ)も、凡例で倭字の例に挙げられていました。
益軒は国字を「正しい字を知らない世間が作った字」と見て、自分の本からはできるだけ外そうとしましたが、『本朝食鑑』は鱈の字を「意味にかなう」と認め、『日本山海名産図会』は鰆を国字と断ったうえで益軒の説を引いています。そして300年後の今、スーパーの値札に並んでいるのは、益軒が退けた鰯・鱈・鰆のほうです。
この記事でわかったこと
江戸時代の貝原益軒は、宝永6年(1709年)の『大和本草』の凡例で、世間が作った「倭字」の例として鱈(タラ)・鰆(サハラ)・鰯(イハシ)・魳(カマス)・鮟鱇(アンカウ)を挙げ、続けて鮱(ボラ)も挙げています(NDL PID:2557353 コマ25)。
中国で作られた漢字ではなく、日本で作られた漢字のことです。
江戸時代の本は「倭字」(『大和本草』)、「本朝所製」(『本朝食鑑』の鱈の項)、「国俗の制」(『日本山海名産図会』の鰆の項)などと書いています。
『大和本草』の凡例で、誤った訓と俗字は使わず正しい字に置きかえると書いています(NDL PID:2557353 コマ25)。
本文の見出しも、サワラは「馬鮫魚」、タラは「夻魚」、ボラは「鯔魚」です(NDL PID:2557359 コマ29・23・39)。ただし正しい字がないときは俗字を使ったところもある、と断っています。
元禄10年(1697年)の『本朝食鑑』は、鱈の字は古い書物に見えず日本で作ったもので、意味にはかなっていると書き、冬の初雪のあとに多くとれるので字が雪に従うのだろうか、と推しはかっています(「鱈字古書未見之、本朝所製也。然於義相協。曽聞、鱈魚當冬月初雪之後必多採之。故字從雪歟」NDL PID:2557333 コマ163)。
この記事で開いた原本
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- 梅園魚品図正.巻1
毛氏梅園元寿<毛利梅園>//撰輯 天保6(1835)序
- 大和本草 16巻附録2巻諸品図2巻.[1]
貝原篤信 宝永6 [1709]
- 大和本草 16巻附録2巻諸品図2巻.[7]
貝原篤信 宝永6 [1709]
- 日本山海名産圖會 5巻.[3]
法橋關月 画 [18--]
- 栗氏魚譜.第8冊 巻14
〔栗本丹州//著〕
- 本朝食鑑 12巻.[2]
丹岳野必大千里 著 [江戸時代]
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