魚へんに秋の読み方はカジカ 中国の本では鰍はドジョウ
この字、読めますか?
鰍
- 訓
- かじか
- 音
- シュウ
- 画数
- 20画
この記事の目次
魚へんに秋と書く「鰍」は、日本では「カジカ」と読み、川の石の下にひそむ頭の大きな小さな魚を指します。秋の字なのでサンマと思う人もいますが、サンマは「秋刀魚」の三字で、鰍の一字とは関係がありません。
出典:国書データベース(『山海名産図会』・蔀関月画・寛政11年・国文学研究資料館所蔵・コマ141・著作権保護期間満了)
寛政11年に蔀関月が絵を描き、いまは国文学研究資料館が所蔵する上の『山海名産図会』でも、頭が大きく体に細かい点のある魚の見出しは「杜父魚」で、鰍ではありません。江戸の学者が手本にした中国の本では、鰍はカジカではなくドジョウの字で、江戸の本はカジカを別の字で書き、鰍のほうはドジョウの項に置いていました。
「鰍」の基本データ
- 読み
- かじか(訓)/シュウ(音)
- 画数
- 20画(魚へん11画+右側9画)
- 形
- 魚へんに「秋」
- 中国では
- ドジョウの字。『本草綱目』は「泥鰍」をドジョウの俗名とする
- 江戸の字
- カジカは「杜父魚」「河鹿」「加志加魚」。鰍はドジョウの項に置かれた
- 難易度
- 上級
読みと画数は Unicode の Unihan Database(U+9C0D)による
『本草綱目』では、泥鰍はドジョウの俗名
国立国会図書館の次世代デジタルライブラリーの本文検索は、一字だけの語では何も返さないので、「鰍」ではなく「鰍魚」「泥鰍」と二字で引きます。「泥鰍」では古典籍に絞っても215冊が出てきて、泥の鰍というこの組み合わせのもとをたどると、明の李時珍(り・じちん)の『本草綱目(ほんぞうこうもく)』に行き着きました。薬になる動植物を集めた中国の本で、江戸の学者はこれを手本にしていて、ここでは承応2年(1653年)に日本で刷られた版の巻四十四、コマ84を開いています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本草綱目』巻四十四・李時珍・承応2年和刻本・NDL PID:2556596 コマ84・著作権保護期間満了)
右ページの上の余白には、この本を持っていた人の朱や墨の書き込みがあり、その下の中ほどに見出しが立っています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本草綱目』巻四十四・李時珍・承応2年和刻本・NDL PID:2556596 コマ84・著作権保護期間満了)
見出しは「鰌魚」で、日本の読者のために脇に「ドヂヤウ」と読みがつき、その下の呼び名を並べる「釋名(しゃくめい)」の欄の最初に、「泥鰍」が小さく「俗名」と添えて出てきて、そのあとに「鰼魚〔爾雅〕」と、古い字書『爾雅』の名が続きます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本草綱目』巻四十四・李時珍・承応2年和刻本・NDL PID:2556596 コマ84・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
鰌魚 音酋〔綱目〕釋名 泥鰍〔俗名〕 鰼魚〔爾雅〕
現代語訳
(見出し)鰌魚。音は「酋」。(呼び名)泥鰍は世間の名。鰼魚は『爾雅』に出る名。
中国では、ドジョウの世間での呼び名が泥鰍で、魚へんに秋の字は、ここではドジョウの名前の一字でした。
『和漢三才図会』は、どぢやうを泥鰍の訛りと見た
寺島良安(てらじま・りょうあん)の絵入り百科事典『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』で、川や湖の魚を集めた巻五十のコマ9を開くと、右ページの区画に、水草の間を泳ぐ細長い魚の絵と見出しがあり、左ページは氷魚(ひお)の項になっています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『和漢三才図会』巻五十・寺島良安編・江戸時代刊・NDL PID:2596382 コマ9・著作権保護期間満了)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『和漢三才図会』巻五十・寺島良安編・江戸時代刊・NDL PID:2596382 コマ9・著作権保護期間満了)
見出しはドジョウで、脇に「鰍 同」とあり、鰍の字も同じ、つまりドジョウの字だとしています。おもしろいのは、その下に続く一文です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『和漢三才図会』巻五十・寺島良安編・江戸時代刊・NDL PID:2596382 コマ9・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
泥鰌(どぢやう) 鰍 同 鰼 同俗云止之也宇。泥鰍字音之訛也。
現代語訳
泥鰌(どじょう)。鰍も同じ。鰼も同じ。世間では「どぢやう」という。泥鰍という字の音がなまったものである。
「俗云止之也宇(どぢやう)、泥鰍字音之訛也」、世間でどぢやうと言うのは泥鰍という字の音がなまったものだというのですから、良安は、ドジョウという日本語そのものが、魚へんに秋の入った泥鰍の音から来たと見ていたことになります。明治の辞書『言海(げんかい)』の「どぢやう」の項も、説のひとつとして「或云、泥鰌ノ音ノ轉訛カト」と書いています(コマ436)。毛利梅園が写したドジョウの図も、見出しは「澤中停水産 泥鰌」「雷泥鰌」「川泥鰌」と泥鰌の字ばかりで、右上の「カタビラトチヤウ」と、天保9年四月に江戸の道灌山の下の流れで釣ったという書き入れが添えてあります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚譜』・毛利梅園・NDL PID:1286914 コマ37・著作権保護期間満了)
江戸のカジカは「杜父魚」「河鹿」
貝原益軒(かいばら・えきけん)の『大和本草(やまとほんぞう)』(宝永6年=1709年刊)は、巻十三のコマ10でカジカの見出しを、『本草綱目』に出てくる中国の名前の「杜父魚」にしていて、伏見では川ヲコゼ、京では石モチ、近江ではチンコと各地の呼び名を並べたあとで、名前の由来にふれています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大和本草』巻十三・貝原益軒・宝永6年・NDL PID:2557359 コマ10・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
(……)ニモ似タリ。此魚ヲ河鹿ト云説アリ。夜ナク故ニ名ツク。古哥ニモヨメリ。一説、ゴリノ大ナルヲ河鹿ト云。ゴリ杜父魚同(類ナリ)
現代語訳
この魚を河鹿(かじか)という説がある。夜に鳴くのでその名がついた。古い歌にも詠まれている。一説には、ゴリの大きいものを河鹿という。ゴリと杜父魚は同じ類である。
「此魚ヲ河鹿ト云説アリ。夜ナク故ニ名ツク」、この魚を河鹿(かじか)と呼ぶ説があり、夜に鳴くのでその名がついた――。益軒は続けて、古い歌にも詠まれていると書き、さらにゴリの大きなものを河鹿と呼ぶという一説まで添えています。益軒の書くカジカは河鹿で、人見必大(ひとみ・ひつだい)の『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』(元禄10年=1697年刊)は見出しを万葉仮名で「加志加魚」とし(巻七コマ155)、『和漢三才図会』は「渡父魚」を見出しに脇に「杜父魚」を並べていて(巻四十八コマ14)、三冊とも、カジカに鰍は使っていません。
料理書の「鰍」は、また別の魚
それでも江戸で鰍の字が使われていなかったわけではなく、料理書には出てきます。全国の図書館が持つ古典籍の画像を集め、図に人の手で見出しをつけてある国文学研究資料館の国書データベースで「鰍」を引くと、正徳4年(1714年)刊の料理書『当流節用料理大全(とうりゅうせつようりょうりたいぜん)』の魚の図が出てきました(刊年は同じ本の別の所蔵本の書誌による)。
出典:国書データベース(『当流節用料理大全』・高島某・国文学研究資料館所蔵・コマ51・著作権保護期間満了)
一尾の魚の図にせびれ・むなびれなどの名前を書き入れた切り分けの図で、その右上に鮭・鱒と並んで鰍の字があり、三字の脇の振り仮名は、国書データベースの見出しでは「さけ・ます・あめ」と読まれています。「あめ」はアメノウオ、サケやマスの仲間の魚ですから、中国の本ではドジョウ、料理書ではサケの仲間と並ぶ魚と、江戸時代の鰍は、指す魚が一つに決まっていませんでした。
『言海』が立てた「かじか(名)鰍」
カジカと鰍がはっきり結びついて出てくるのは、大槻文彦(おおつき・ふみひこ)の国語辞書『言海』(明治22〜24年=1889〜1891年刊)の、コマ165の「かじか」の項です。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『言海』・大槻文彦編・明治22〜24年・NDL PID:992954 コマ165・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
かじか(名)鰍 魚ノ名、淡水ニ產ズ、常ニ水底ノ沙上ニ居テ浮バズ、長サ五六寸、形、はぜニ似テ肥大ニシテ、頭大ク、口廣ク、身扁ク、鱗細カシ、背ハ淡靑黑ニ黃ヲ帶ビテ、黑キ斑アリ、腹ハ黃白ナリ。 杜父魚
現代語訳
かじか(名詞)。字は鰍。魚の名。淡水にすみ、いつも水底の砂の上にいて浮かばない。長さ五、六寸。形はハゼに似て太く、頭が大きく口は広く、体は平たく、鱗は細かい。背は淡い青黒に黄色みを帯びて黒い斑があり、腹は黄白色である。中国で通用する書き方は杜父魚。
淡水にすみ、いつも水底の砂の上にいて浮かばず、長さは五六寸、形はハゼに似て太く、頭が大きく口が広く、背は淡い青黒に黄を帯びて黒い斑がある、という説明はいまのカジカの姿そのもので、見出しのすぐ後に四角で囲んだ鰍があり、項の終わりには二本線を添えた杜父魚があって、この囲み方には意味があります。『言海』は巻頭の凡例で、字の囲み方を使い分けると断っているのです。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『言海』・大槻文彦編・明治22〜24年・NDL PID:992954 コマ70・165・著作権保護期間満了)
辻や杜若(かきつばた)と同じ一重の四角は「和ノ通用字」、日本で通用している字の印で、二本線の杜父魚のほうは「漢ノ通用字」、中国で通用している書き方の印でした。明治の辞書は、鰍を日本で使われているカジカの字、杜父魚を中国で使われている書き方として、はっきり分けて載せていたことになります。
中国の本ではドジョウの字で、江戸の学者はカジカを杜父魚・河鹿・加志加魚と書いてドジョウの項に置いていた鰍が、明治の辞書では、日本で通用するカジカの字として見出しに立っていました。ただ、なぜカジカに秋の字が当たったのかは、今回開いた原本のどこにも書いてありません。秋においしいから、という説明は見かけますが、それを書いた原本には、まだたどり着けていません。
鰍
- 読みは「かじか」。魚へんに秋、20画
- 中国の本では「泥鰍」はドジョウの俗名
- 江戸の本はカジカを「杜父魚」「河鹿」と書いた
- 明治の辞書『言海』が「かじか(名)鰍」。なぜ秋なのかを書いた原本は見つかっていない
UOMEDIA|uomedia.jp
この記事でわかったこと
「鰍」は日本ではカジカと読みます。
明治の国語辞書『言海』は「かじか(名)鰍」とし、日本で通用している字の印をつけています(NDL PID:992954 コマ165)。ただし中国の本草書『本草綱目』では、「泥鰍」はドジョウの俗名です(NDL PID:2556596 コマ84)。
中国ではそうです。
『本草綱目』はドジョウ(鰌魚)の呼び名に「泥鰍〔俗名〕」を挙げ、江戸の『和漢三才図会』もドジョウの項に「鰍 同」と書き、「どぢやう」という名を「泥鰍字音之訛也」(泥鰍の字音の訛り)としています(NDL PID:2596382 コマ9)。
『大和本草』は見出しを「杜父魚」とし、「此魚ヲ河鹿ト云説アリ。
夜ナク故ニ名ツク」と書いています(NDL PID:2557359 コマ10)。『本朝食鑑』は「加志加魚」と万葉仮名で書いています。
この記事で開いた原本
どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。
- 本草綱目卷1-17,19-52,瀕湖脈學1卷奇經八脈攷1卷脈訣攷證1卷.[30]
明李時珍撰 承應2
- 和漢三才図会 : 105巻首1巻尾1巻.[35]
寺島良安尚順 編 [江戸時代]
- 梅園魚譜
毛利大江元寿梅園白石瑛<毛利梅園>//撰輯
- 大和本草 16巻附録2巻諸品図2巻.[7]
貝原篤信 宝永6 [1709]
- 言海 : 日本辞書.第1-4冊
大槻文彦 編 1889-1891
ほかの記事で使った本もあわせて見るなら記事で開いた原本の一覧へ。



