鮨の漢字の由来 魚へんに旨はもと「魚のひしお」、すしの字は鮓だった
この字、読めますか?
鮨
- 訓
- すし
- 音
- シ・キ・ケイ
- 画数
- 17画
この記事の目次
江戸の終わりに喜田川守貞が書いた風俗誌『守貞謾稿』では、すしの見出しに立っている字が「鮨」ではなく「鮓」で、その下に「鮨ハ近来ノ俗字也」と書き添えてあります。いま暖簾でいちばんよく見かける、魚へんに「旨い」の旨と書く鮨を、守貞は近ごろの俗な字として片づけていました。すしを漢字で書くと「鮨」「鮓」、それに「寿司」がありますが、漢字の由来をさかのぼると、鮨は中国の字書では魚でつくるひしおの字で、すしを指す本来の字は鮓のほうです。それなのに、奈良時代の都に届いた荷札には、もう両方の字が書かれていました。
出典:ColBase(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)平城宮399号木簡・奈良文化財研究所所蔵・CC BY
この荷札の話は最後に回して、まずは守貞の一行から読みます。国立国会図書館の次世代デジタルライブラリーで江戸以前の古典籍に絞り、「鮓ト云」と引いて出てきた11冊のなかに、『守貞謾稿(もりさだまんこう)』の一冊が入っていました。江戸・京都・大坂の三都の暮らしや風俗を、守貞が絵を添えて書きとめた写本です。
「鮨」の基本データ
- 読み
- すし(訓)/シ・キ・ケイ(音)
- 画数
- 17画(魚へん11画+右側6画)
- 形
- 魚へんに「旨」
- 由来
- 中国の字書では魚でつくる「ひしお」の字。すしを指す本来の字は「鮓」
- 日本では
- 奈良時代の荷札に、もう「鮨」も「鮓」も書かれている
- 難易度
- 初級
読みと画数は Unicode の Unihan Database(U+9BA8)による
守貞の一行「鮨ハ近来ノ俗字也」
すしの項があるのは、食べ物の話が集まった後集の巻之一、コマ26の左ページです。見出しは一字だけの「鮓」で、その下に箱の図が二つ描かれています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『守貞謾稿』後集巻之一・喜田川守貞・写本・NDL PID:2592417 コマ26・著作権保護期間満了)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『守貞謾稿』後集巻之一・喜田川守貞・写本・NDL PID:2592417 コマ26・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
鮓スシト訓ス。愚按、鮨ハ近来ノ俗字也
現代語訳
鮓。スシと読む。わたしが考えるに、鮨(の字)は近ごろの俗な字である。
見出しのすぐ下は「鮓、スシト訓ス」で、鮓はスシと読む、とまず読み方を示し、続けて「愚按、鮨ハ近来ノ俗字也」と、わたしの考えでは鮨は近ごろの俗な字だ、と自分の意見を書いています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『守貞謾稿』後集巻之一・喜田川守貞・写本・NDL PID:2592417 コマ26・著作権保護期間満了)
筆で書かれた「鮓」と「鮨」は、写本の崩した字でも、つくりが「乍」と「旨」で違うのがはっきり見分けられます。守貞はこのあとすしの中身の話に移り、三都ともかつては押しずしだったのに、江戸ではいつのころからか箱に詰めて押すすしがすたれて「握リ鮓ノミトナル」、握りずしばかりになった、と書いています。左ページの箱の図は、その押しずしの箱です。守貞にとってすしの字はあくまで「鮓」で、「鮨」は新しい書き方にすぎませんでした。
『本草綱目』の鮓は塩と米で醸すもの
江戸の学者が食べ物や薬を調べるとき、まず開いたのは明の李時珍(りじちん)の『本草綱目(ほんぞうこうもく)』でした。承応2年(1653年)に日本で彫り直された版の魚の巻、巻四十四のコマ108に、鮓の項があります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本草綱目』巻四十四 鱗部・李時珍撰・承応2年刊・NDL PID:2556596 コマ108・著作権保護期間満了)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本草綱目』巻四十四 鱗部・李時珍撰・承応2年刊・NDL PID:2556596 コマ108・著作権保護期間満了)
見出しは「魚鮓」で、脇に「スシ」と振り仮名があり、上の余白には朱で「俗称須志是也」と書き込まれています。世間でスシと呼んでいるのがこれだ、という昔の持ち主のメモで、この本を読んだ人も魚鮓をすしのこととして読んでいたことが分かります。名前の由来を説く「釈名」の欄はこうです。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本草綱目』巻四十四 鱗部・李時珍撰・承応2年刊・NDL PID:2556596 コマ108・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
魚鮓(スシ) 拾遺釋名 時珍曰、按劉熙釋名云、鮓、醞也。以鹽糝醞釀而成也。諸魚皆可爲之。大者曰鮓、小者曰鯵。一云、南人曰鯵、北人曰鮓。
現代語訳
魚鮓(振り仮名はスシ)。【名前】李時珍いわく、劉熙の『釈名』によれば、鮓は「醞(かもす)」である。塩と米粒で醸してつくる。どんな魚でもつくれる。大きいものを鮓といい、小さいものを鯵という。一説に、南の人は鯵といい、北の人は鮓という――。
「鮓、醞也」とあって、鮓とは醞(かも)すことだと言い、そのつくり方を「以鹽糝醞釀而成也」、塩と糝(米粒)で醸してつくると説明し、「諸魚皆可爲之」、どんな魚でもつくれると添えています。魚を塩と米で漬け込んで発酵させたものが鮓なのだから、すしの字としては守貞のいうとおり筋が通っています。
平安時代の辞書では「鮨」もスシと読んだ
それなら鮨は、いつからすしの字になったのか。平安時代に源順(みなもとのしたごう)がまとめた辞書『和名抄(わみょうしょう)』に、江戸後期の考証学者・狩谷棭斎(かりや・えきさい)が注をつけた『箋注倭名類聚抄』(明治16年刊)があり、その巻四、食べ物の部のコマ59に鮨が出てきます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『箋注倭名類聚抄』巻第4・狩谷棭斎著・明治16年・NDL PID:991787 コマ59・著作権保護期間満了)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『箋注倭名類聚抄』巻第4・狩谷棭斎著・明治16年・NDL PID:991787 コマ59・著作権保護期間満了)
和名抄の本文は「尒雅注云、鮨……鮓屬也」で、『爾雅』の注によれば鮨は鮓のたぐいだ、という説明です。読みの注には「須之」とあるので、平安時代の辞書の時点で、鮨はもうスシと読まれていました。守貞が近ごろの俗字だと書くより、はるか前のことです。
棭斎の結論は「鮨はすしではない」
ところが、この辞書に注をつけた棭斎自身は、和名抄の本文のすぐ下に中国の字書を次々に引いて、まったく別の答えを出しています。まず『説文解字』の「鮨、魚䏽醬也。䏽、豕肉醬也」を引き、鮨は魚の䏽醬(ひしお)で、䏽とは豚肉のひしおのことだとしたうえで、『爾雅』の釈器篇へ進みます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『箋注倭名類聚抄』巻第4・狩谷棭斎著・明治16年・NDL PID:991787 コマ59・著作権保護期間満了)
そこにあるのが「魚謂之鮨、肉謂之醢、則知鮨魚醢」で、魚でつくったものを鮨、肉でつくったものを醢(ひしお)と呼ぶのだから、鮨とは魚の醢だと知れる、という理屈です。中国の古い字書のなかの鮨は、魚の身でつくるひしおのようなものだったことになり、棭斎はさらにいくつもの本を引いてから、ページをまたいで注をこう締めくくりました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『箋注倭名類聚抄』巻第4・狩谷棭斎著・明治16年・NDL PID:991787 コマ59・60・著作権保護期間満了)
「已上諸說、鮨之非須之可知也」。以上の諸説から、鮨がスシでないことは明らかである――。
それなら『爾雅』の注はなぜ鮨を「鮓屬」と呼んだのか、という疑問にも、棭斎は次の列で先回りして答えています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『箋注倭名類聚抄』巻第4・狩谷棭斎著・明治16年・NDL PID:991787 コマ60・著作権保護期間満了)
「郭璞注鮨爲鮓屬者、以鮨鮓並令藏而熟之相似」。郭璞(かくはく)が注で鮨を鮓のたぐいとしたのは、どちらも漬け込んで熟させるところが似ているからで、「擧以比之、故曰鮓屬」、比べて挙げたので鮓のたぐいと言ったまでだ、というのです。似ているから並べただけで同じものだとは言っていないのに、和名抄はそれをすしと読んでしまった、というのが棭斎の見立てでした。中国の字書が説明する鮨は、うまい魚ではなく、魚でつくるひしおだったわけです。
奈良時代の荷札には、もう両方の字
冒頭の木簡は、平城宮跡から出た、荷物につける木の札です。所蔵する奈良文化財研究所の釈文では「若狭国遠敷郡/青里御贄/多比鮓壱塥」と読まれていて、若狭国(今の福井県の一部)から都へ納めた贄(にえ)に「多比(たい)」の「鮓」とつけた荷札だと分かり、研究所の解説は「鯛のナレ鮨の荷札」としています。同じ平城京からは、もう一枚、別の字を使った札が出ています。
出典:ColBase(国立文化財機構所蔵品統合検索システム)平城京木簡・奈良文化財研究所所蔵・CC BY
こちらの釈文は「賀陽郡鮨年魚」で、賀陽郡は今の岡山県の一部、年魚はアユのことですから、アユの鮨の荷札です。研究所の解説は、『令集解(りょうのしゅうげ)』という古い法律の注釈書に引かれた説明をもとに、この鮨を、魚の臓物を取り出して塩をし、飯と酒を詰めて重しをして発酵させたもの、今日の近江の鮒ずしのようなものとしています。
奈良時代の都では、魚を米で漬けた食べ物の荷札に「鮓」も「鮨」も書かれていたことになり、守貞の「近来ノ俗字」とも棭斎の「鮨はすしではない」とも食い違います。中国の字書のなかでは別々の食べ物だった鮨と鮓が、日本では早くから同じすしの字として使われていて、江戸の学者たちは中国の本と照らし合わせたときに、そのずれに気づいて「俗字」と書き残しました。それでも魚へんに旨の字は、今もすしの字として暖簾に残っています。
鮨
- 読みは「すし」。魚へんに旨、17画
- 中国の字書では「鮨、魚䏽醬也」。魚のひしおの字
- すしの字は「鮓」。『守貞謾稿』は「鮨ハ近来ノ俗字也」
- 奈良時代の荷札には、もう「鮨」も「鮓」も書かれていた
UOMEDIA|uomedia.jp
この記事でわかったこと
鮨は、中国の古い字書では魚でつくる「ひしお」の字でした。
狩谷棭斎は『説文解字』の「鮨、魚䏽醬也」や『爾雅』の「魚謂之鮨、肉謂之醢」を引き、「鮨之非須之可知也」(鮨がすしでないことは明らか)と書いています(『箋注倭名類聚抄』巻4・NDL PID:991787 コマ59・60)。
『本草綱目』では、鮓は「以鹽糝醞釀而成也」、塩と米で魚を醸したものです(承応2年刊本・NDL PID:2556596 コマ108)。
鮨は中国の字書では魚のひしおで、別のものでした。ただし日本では奈良時代の荷札にすでに「多比鮓」「鮨年魚」と両方の字が見え(ColBase・奈良文化財研究所の釈文)、平安時代の『和名抄』も鮨を「須之(すし)」と読んでいます。
喜田川守貞『守貞謾稿』は、すしの見出しを「鮓」とし、「鮓、スシト訓ス。
愚按、鮨ハ近来ノ俗字也」(鮨は近ごろの俗な字)と書いています(後集巻之一・NDL PID:2592417 コマ26)。同じ項で、江戸ではいつからか箱の押しずしがすたれ「握リ鮓ノミトナル」とも書いています。
この記事で開いた原本
どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。
- 守貞謾稿.後集巻1
喜田川季壮尾張部守貞 誌
- 本草綱目卷1-17,19-52,瀕湖脈學1卷奇經八脈攷1卷脈訣攷證1卷.[30]
明李時珍撰 承應2
- 箋注倭名類聚抄.巻第4
狩谷棭斎 著 1883
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