
養殖は江戸時代「水畜」と呼ばれた——鯉の稚魚は鶏と鴨の卵で育てる
養殖という言葉は江戸時代の本にほとんど出てきません。代わりにあるのが「畜養」「養魚」、そして「水畜(すいちく)」。元禄の農書『農業全書』は魚を牛馬や鶏と並べ、鯉の池の作り方から稚魚の餌まで書いていました。原本画像で読みます。

養殖という言葉は江戸時代の本にほとんど出てきません。代わりにあるのが「畜養」「養魚」、そして「水畜(すいちく)」。元禄の農書『農業全書』は魚を牛馬や鶏と並べ、鯉の池の作り方から稚魚の餌まで書いていました。原本画像で読みます。

水産ニュース
水産ニュースの週刊まとめ(2026年9月24日〜30日)。サンマの水揚げは前年同期の17%で資源量も過去最少、印旛沼決壊で養殖ウナギ約5万匹が流出、深海魚の新種ホソオホラアナゴなど6本を出典付きで。

魚へんの漢字
魚へんに秋の読み方はカジカ。でも中国の本草書では泥鰍はドジョウの名で、江戸の和漢三才図会も「鰍 同」とドジョウの項に置きます。江戸のカジカは杜父魚・河鹿。鰍が辞書の見出しに立つのは明治の言海でした。

魚へんの漢字
魚へんに冬の読み方はコノシロ。ただ江戸の本草書の見出しは鰶や鱅で、鮗は出てきません。1776年自序の『奥細道菅菰抄』は「俗間ニ鮗ト書ハ鰶ノ誤」と書き、子ども向けの字の本のせいだとしていました。

魚へんの漢字
魚へんに安と康で「鮟鱇(あんこう)」。鮟鱇の漢字の由来を江戸の原本でたどると、和漢三才図会・大和本草・梅園の図譜は、そろって見出しを中国名の「華臍魚」とし、鮟鱇は世間の呼び名。貝原益軒は「未見出處」と書いていました。

魚へんの漢字
魚へんに念と書いて「鯰(なまず)」。鯰の漢字の由来を江戸の原本でたどると、中国でナマズを表す字は「鮎」でした。では日本の鯰の「念」はどこから来たのか。江戸の考証学者・狩谷棭斎の見立てを原本で読みます。

魚へんの漢字
鰰の漢字の由来を原本でたどります。江戸の毛利梅園はハタハタを「雷魚」と書き、雷の声を聞くと浜に群れるからと説明。魚へんに神の「鰰」は、明治の官撰地誌『日本地誌提要』に「俗ニ鰰字ヲ用ユ」と出てきます。

魚へんの漢字
魚へんに雪と書いて「鱈(たら)」。鱈の漢字の由来、なぜ雪なのかを江戸の原本で開くと、理由が本ごとに違いました。とれる時期、好む寒さ、身の色。『本朝食鑑』『和漢三才図会』、栗本丹洲の三つの説明を原本のページで読み比べます。

魚へんの漢字
鯱の漢字の由来を江戸の原本でたどります。寺島良安は「魚虎」の二字、貝原益軒は「鴟尾」と書き、世間では干物の字「鱐」が使われていました。魚へんに虎の一字は、明治の辞書『言海』の見出しで見つかります。

魚へんの漢字
鱚の漢字の由来を江戸の原本でたどります。寺島良安はキスの見出しを「幾須吾」と万葉仮名で書いて「正字未詳」、貝原益軒は「中華ノ書ニテ未見之、故ニ漢名未知」。毛利梅園の図譜には「鱚」の字が見出しに立ち、「漢名不詳」と添えてありました。

魚へんの漢字
鱸の漢字の由来を江戸の原本でたどります。『本草綱目』は「黒色曰盧、此魚白質黒章、故名」、白い地に黒い模様があるから鱸と書きました。寺島良安は、せいご・はね・すずきと大きさで名が変わることも書き残しています。

魚へんの漢字
魚へんに交(交わる)と書いて「鮫(さめ)」。鮫の漢字の由来を江戸の原本でたどると、交わるのは鮫の体のある部分の模様でした。平安の辞書も同じところに目をつけ、江戸の百科事典はその使い道まで書き残しています。