
魚のことば
「柳の下の泥鰌」の意味と由来 江戸の本になく明治24年から急に増えた
「柳の下の泥鰌」の意味と由来を原本でたどります。明治の辞書は「一度よき事ありしとて、常に同様の幸はなし」。江戸のことわざ集に項はなく、全文検索で古典籍0冊。明治24年の『国民の品位』の見出しから急に増え、富山では「柳の下の大鯰」でした。

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「柳の下の泥鰌」の意味と由来を原本でたどります。明治の辞書は「一度よき事ありしとて、常に同様の幸はなし」。江戸のことわざ集に項はなく、全文検索で古典籍0冊。明治24年の『国民の品位』の見出しから急に増え、富山では「柳の下の大鯰」でした。

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「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」の意味と由来を原本でたどります。明治の辞書は「皆己が分ほどなるをいふ」、出典は1645年『毛吹草』。1656年『世話尽』に「蟹ハ甲に似せて穴をほる」、松屋筆記は長篠合戦での信長の言葉として伝えました。

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「瓢箪で鯰を押さえる」の意味と由来を原本でたどります。明治の辞書は「要領を得ざること」。江戸の考証随筆は禅僧・如拙の「瓢鮎図」に由来を求め、1695年の解説書は仏書の語から出たと書きました。1656年のことわざ集では鯰ではなく「鰻」でした。

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「鯛の尾より鰯の頭」の意味と由来を原本でたどります。元は『戦国策』の鶏口牛後ですが、1645年の『毛吹草』にあった形は逆の「鰯の頭をせんより鯛の尾につけ」。明治の辞書は正反対の二つを「反対」「同じ」と注記して並べていました。

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雑魚寝とは、大勢が入り交じって寝ること。その由来を原本でたどると、江戸の本では節分の夜に大原の氏神にこもる「大原の雑魚寝」。1682年の西鶴『好色一代男』に章があり、明治の辞書は雑魚のようにと説明します。

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「河豚は食いたし命は惜しし」の意味と由来を原本でたどります。明治の辞書は「情と理性との闘」。1811年の三馬『客者評判記』に「河豚は食たし命は惜し」、芭蕉は「あら何ともなや昨日は過ぬ河豚汁」。フグ汁は「雷汁」とも呼ばれました。

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「ごまめの歯ぎしり」の意味と由来を原本でたどります。江戸の川柳に「面あてに塩引」と詠まれた小魚は干したカタクチイワシ。本朝食鑑は干鰯が田の肥やしだから「田作」と書き、華実年浪草は武家・農家・商家で祝い名が違うと記しました。

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「まな板の鯉」の語源を原本でたどります。元は『史記』の「刀俎と魚肉」で、江戸の本も明治の辞書も「まな板の魚」。鯉になった理由は上方歌舞伎の台本にあり、まな板に載ると観念して動かない鯉を「覚悟のよい魚」と呼んでいました。

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「鯉の滝登り」の由来を原本でたどります。明治の辞書は見出しに「龍門の瀧」と書きますが、出典の『三秦記』は黄河の急流「河津」の話で、登れない魚はえらを曝す、と結びます。江戸の本草書は「禹門」、1779年の黄表紙は「鯉の瀧登」。

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「たらふく」の語源と「鱈腹」の由来を原本でたどります。辞書は当て字と言い、江戸の本に「鱈腹」は0冊。1732年の小歌「たらふくつるてん」、一九の「たら福」、「たらふく孫左衛門」を経て、鱈の字が入ったのは1889年でした。

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「磯の鮑の片思い」の意味と由来を原本でたどります。万葉集の「鰒貝の独り念い」、平安末『梁塵秘抄』の「荒磯の鮑の貝の片思ひ」、江戸のことわざ集を経て、辞書の初出1899年より古い1893年の本にこの形がありました。

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「にべもない」の語源と初出を原本でたどります。にべは魚ニベの浮き袋から作る膠(にかわ)で、江戸の本草書は「弓工これを用ゆ」と書きます。辞書の初出は1720年の近松ですが、1698年の『続猿蓑』にもう「にべもなくつい立つ蟬」の句がありました。