
魚と貝
ナマズと地震はなぜ結びついた——江戸に鯰はいなかった
ナマズと地震が結びついた安政の江戸。その百年前の本には「関東には鯰なきよし」とあります。享保十四年の出水で江戸にナマズが現れたという記録を、原本画像で読みます。

魚と貝
ナマズと地震が結びついた安政の江戸。その百年前の本には「関東には鯰なきよし」とあります。享保十四年の出水で江戸にナマズが現れたという記録を、原本画像で読みます。

魚と貝
ドジョウ養殖の歴史は元禄までさかのぼります。『本朝食鑑』は田んぼで牛馬の糞を使って養うドジョウを取り上げ、「形は肥大なりと雖も、味も亦美ならず」と評しました。原本画像で読みます。

魚と貝
源五郎鮒とは琵琶湖の鮒で、名前の由来を江戸の本四冊で引くと四冊とも別人でした。琵琶湖の漁師、大津の魚商人、堅田の漁師。いま釣りで親しまれるヘラブナと同じ魚の名を原本画像でたどります。

魚と貝
江戸の白魚は隅田川の名物ですが、もとは誰かが「蒔いた」魚だと書かれています。『甲子夜話』は「白魚ハ種ヲマケバ生ズルモノナリ」。白魚役の願書と突き合わせて原本画像で読みます。

魚のことば
ヒラメとカレイの違いは「左ヒラメ右カレイ」。この左右への注目は安永四年の『物類称呼』が漁師の話として書き留めています。ただし江戸の魚市では大きければヒラメでした。

魚と貝
コハダとコノシロの違いは大きさで、大きくなると寿司屋から消えます。江戸の武士がこの魚を食べなかったのは「この城を食う」の響きを忌んだから。『本朝食鑑』を原本画像で読みます。

魚と貝
アユが餌で釣れない理由を元禄十年の『本朝食鑑』が書いています。「ただ蠅を好む」。だから遠州・大井川の漁師は馬の尾で蠅の頭に似せた毛鉤を作りました。原本画像でたどります。

魚と貝
江戸時代のサンマは「魚中の下品」とされ、独立の項目すら立てられず、脂は灯油に取られ、サヨリの名で偽って売られていました。「秋刀魚」の字が現れるまでを原本画像で追います。

魚へんの漢字
鰆の漢字の由来を江戸の本と中国の字書の原本で確かめます。『和漢三才図会』は「春月盛出、故俗用鰆字」、名は腹が狭い「狭腹」。「国字」とされた鰆は『康熙字典』にも載っています。

魚と貝
広島のカキ養殖の歴史は江戸時代にさかのぼります。『日本山海名産図会』は「畿内に食する物、皆芸州広島の産なり」と書き、干潟に竹を並べる「ひび」の作り方まで図入りで記録しました。

魚のことば
のし袋の「のし」の由来はアワビです。薄く剥いて打ち延ばしたものが元でした。『日本山海名産図会』は作り方を図入りで載せ「俗に熨斗の字とかくは誤なり」と書いています。

魚と貝
伊勢海老の名前の由来は「是伊勢より京師へ送る故に云なり」。獲っていたのは志摩の鳥羽で、伊勢は積み出し口でした。江戸では鎌倉海老。名は道についていたのです。