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魚へんの漢字

鱸の漢字の由来 魚へんに盧は「白地に黒い模様」の魚

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難易度 上級

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鱸

訓
すずき
音
ロ
画数
27画
この記事の目次

承応2年(1653年)に日本で彫り直された『本草綱目』の鱸魚の項には、見開きの上の余白に、昔の持ち主が朱で書きつけた一行があって、本文の李時珍に向かって「時珍見其小者耶」、時珍は小さいものしか見なかったのではないか、と食ってかかっています。スズキを漢字で書くと「鱸」で、魚へんに、ふだんまず目にしない「盧(ろ)」の字を組み合わせますが、その漢字の由来を本文は、黒い色を盧といい、白い地に黒い模様のある魚だから鱸だ、と説明しています。朱の書き入れが噛みついたのは字の由来ではなく、魚の大きさのほうでした。

明治の水産図鑑の石版画。53番のスズキ。背びれにとげが並ぶ細長い魚
明治30年の『日本重要水産動物図』第二図のうち、53番の魚。解説では「(53)すゞき 鱸ノ字ヲ用ユ」。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本重要水産動物図』第2図・大日本水産会編・明治30年・NDL PID:1086749 コマ4・著作権保護期間満了)

「鱸」の基本データ

読み
すずき(訓)/ロ(音)
画数
27画(魚へん11画+右側16画)
形
魚へんに「盧」
由来
『本草綱目』は「黒色曰盧。此魚白質黒章、故名」。白い地に黒い模様があるから
呼び名
『和漢三才図会』は、大きさで「せいご・はね・すずき」と呼び分けると書く
難易度
上級

読みと画数は Unicode の Unihan Database(U+9C78)による

鱸=魚+盧うおへん盧(ろ)

李時珍の説明は「黒色曰盧、此魚白質黒章」

『本草綱目(ほんぞうこうもく)』は、明の李時珍(りじちん)がまとめた薬の百科事典で、江戸の学者がよく読んだ中国の本草書です。和刻本の巻四十四、コマ73に鱸魚の項があり、本文を機械で読み取ったテキストを国立国会図書館の次世代デジタルライブラリーから一冊ぶん取り出して、字で探して行き当たりました。

『本草綱目』承応2年刊本 巻四十四コマ73の見開き。右ページに見出し「鱸魚」、上の余白に朱の書き入れ
『本草綱目』巻四十四の見開き。右ページのなかほどに見出し「鱸魚」、振り仮名は「スヽキ」。上の余白に、朱で「俗称須々幾是也」(世間でスズキと呼ぶのがこれだ)と書き入れがある。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本草綱目』巻四十四 鱗部・李時珍撰・承応2年刊・NDL PID:2556596 コマ73・著作権保護期間満了)
『本草綱目』巻四十四コマ73の鱸魚の見出しと釈名・集解の翻刻
「鱸魚(スヽキ) 宋嘉祐/釋名 四鰓魚 時珍曰、黒色曰盧。此魚白質黒章、故名。淞人名四鰓魚。/集解 時珍曰、鱸出吳中、淞江尤盛。四五月方出……」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本草綱目』巻四十四 鱗部・李時珍撰・承応2年刊・NDL PID:2556596 コマ73・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

鱸魚(スヽキ) 宋嘉祐釋名 四鰓魚 時珍曰、黒色曰盧。此魚白質黒章、故名。淞人名四鰓魚。集解 時珍曰、鱸出吳中、淞江尤盛。四五月方出。長……

現代語訳

鱸魚(スズキ)。【名前】四鰓魚ともいう。李時珍いわく、黒い色を「盧」という。この魚は白い地に黒い模様がある。だから(鱸と)名づけた。淞江の人は四鰓魚と呼ぶ。【産地】鱸は呉の地方に出る。淞江がいちばん盛んで、四、五月にやっと出る――。

名前の由来を説く「釈名」の欄に、「時珍曰、黒色曰盧」、黒い色を盧という、とあり、続けて「此魚白質黒章、故名」、この魚は白い地に黒い模様があるから名づけた、と書かれています。

『本草綱目』コマ73の見出し「鱸魚」と「曰黒色曰盧此魚白質」「黒章故」の大写し
右が見出しの「鱸魚」、中が釈名の一列「(時珍)曰、黒色曰盧、此魚白質」、左が次の列の頭「黒章故(名)」。三か所を切り出して並べた。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本草綱目』巻四十四 鱗部・李時珍撰・承応2年刊・NDL PID:2556596 コマ73・著作権保護期間満了)

魚へんの右側の盧は黒を表す字で、白い体に黒い点や模様がある魚だから魚へんに盧、という理屈です。この説明は同じ項の続きとも食い違いがなく、「集解」の欄で李時珍は姿を「色白、有黒點、巨口細鱗、有四鰓」、色は白く黒い点があり、口が大きく鱗は細かく、鰓が四つある、と書いていて、釈名に出てくる別名「四鰓魚」はこの鰓のことです。産地は「鱸出吳中、淞江尤盛」で、呉の地方に出て、淞江(しょうこう)がいちばん盛んだといい、淞江の人はこの魚を「四鰓魚」と呼ぶ、ともあります。

ところが大きさについては、李時珍は「長僅數寸」、長さはわずか数寸と書いています。冒頭の朱の書き入れは、この数寸に向けたものでした。

「俗称須々幾是也。後漢書左慈傳、銅盤中得者長三尺餘。即知鱸素有三尺以上者也。時珍見其小者耶」。

世間でスズキと呼ぶのがこれだと書いたうえで、『後漢書』の左慈伝では銅の盤の中から得た鱸が三尺余りあったのだから、鱸にはもともと三尺を超えるものがいる、と論じ、だから時珍は小さいものしか見なかったのではないか、と結んでいます。本を読みながら、中国の大学者の書いた数字に朱筆で異を唱えた日本の読者がいたわけです。

『本草綱目』コマ73の上の余白にある朱の書き入れ「俗称須々幾是也後漢書左慈傳銅盤中得者長三尺餘即知鱸素有三尺以上者也時珍見其小者耶」の大写し
見開きの上の余白の朱の書き入れ。右から「俗称須々幾/是也後漢書/左慈傳銅盤/中得者長三/尺餘即知鱸/素有三尺以/上者也時珍/見其小者耶」。最後の字は「耶」と読んだ。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『本草綱目』巻四十四 鱗部・李時珍撰・承応2年刊・NDL PID:2556596 コマ73・著作権保護期間満了)

寺島良安の「世比古・波祢・須受岐」

寺島良安(てらじま・りょうあん)の絵入り百科事典『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』も、巻四十九(柱の題は「江海有鱗」)のコマ31に鱸の項を立てていて、見出しの下の注からもう名前の話が始まります。

『和漢三才図会』の見出し「鱸(すずき)ロウ」と「和名須々岐 小者名波祢 尚小者名世伊古」の大写し
見出しの大写し。大きく「鱸」、右に振り仮名「すずき」、左に唐音「ロウ」。下の注は右から「和名須々岐」「小者ヲ名波祢」「尚小者ヲ名世伊古」。「岐」と「祢」は虫食いで一部欠け、「古」は刷りでは「占」に近い形に見える。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『和漢三才図会』巻四十九・寺島良安編・江戸時代刊・NDL PID:2596381 コマ31・著作権保護期間満了)

注には「和名須々岐」とあり、小さいものを「波祢(はね)」、さらに小さいものを「世伊古(せいご)」という、と書かれています。本文は『本草綱目』の「黒色曰盧、此魚白質黒章、故名之」をそのまま引いて字の由来を済ませると、すぐ日本のスズキの話に移ります。

『和漢三才図会』巻四十九コマ31の「川鱸脂多味美」から「雲州松江最多而夏月特賞之」までの3列と翻刻
「川鱸脂多味美、海鱸脂少味淡。其三四寸者稱世比古、六七寸近尺者名波祢、尺以上至二三尺者名須受岐。諸國四時共有之。雲州松江最多、而夏月特賞之。」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『和漢三才図会』巻四十九・寺島良安編・江戸時代刊・NDL PID:2596381 コマ31・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

川鱸脂多味美、海鱸脂少味淡。其三四寸者稱世比古、六七寸近尺者名波祢、尺以上至二三尺者名須受岐。諸國四時共有之。雲州松江最多、而夏月特賞之。

現代語訳

川のスズキは脂が多く味がよい。海のスズキは脂が少なく味が淡い。三、四寸のものを「せいご」と呼び、六、七寸から一尺近いものを「はね」、一尺以上二、三尺のものを「すずき」という。どこの国でも一年じゅういる。出雲の松江がいちばん多く、夏にとくに賞味する。

「川鱸脂多味美、海鱸脂少味淡」と、川のスズキは脂が多く味がよく、海のスズキは脂が少なく味が淡いと比べたあとに来るのが、「其三四寸者稱世比古、六七寸近尺者名波祢、尺以上至二三尺者名須受岐」の一文で、三、四寸を「せいご」、六、七寸から一尺近いものを「はね」、一尺以上で二、三尺までを「すずき」と呼び分けています。今も知られるスズキの出世魚の呼び名が、良安の時代にはもう三つそろっていたことになり、いちばん小さいものは本文では「世比古」、見出しの注では「世伊古」と、同じ項のなかでも書き方が揺れています。

しかも良安は「二三尺」まで書いていて、李時珍の数寸よりずっと大きい。『本草綱目』の余白に「時珍は小さいものしか見なかったのでは」と書いた人も、日本でこの大きさのスズキを見ていたのなら、うなずける話です。良安はさらに「雲州松江最多、而夏月特賞之」と、出雲の松江にいちばん多く、夏にとくに賞味すると書いていて、『本草綱目』の淞江の鱸に対して、日本では出雲の松江(まつえ)の鱸と、字の似た二つの地名が同じ魚の名産地として並ぶことになりました。

『和漢三才図会』巻四十九コマ31の鱸の絵。口の大きな細長い魚が、頭を下に描かれている
『和漢三才図会』の鱸の絵。見出し「鱸」の上の区画に描かれている。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『和漢三才図会』巻四十九・寺島良安編・江戸時代刊・NDL PID:2596381 コマ31・著作権保護期間満了)

明治の図鑑にも「せいご」

呼び名は明治の図鑑にも引き継がれていて、明治30年(1897年)に大日本水産会が出した『日本重要水産動物図』では、スズキの項がこう始まります。

『日本重要水産動物図』解説コマ15の「(53)すゞき 鱸ノ字ヲ用ユ幼魚ヲせいごト云ヒ」の列と翻刻
「(53) すゞき 鱸ノ字ヲ用ユ。幼魚ヲせいごト云ヒ……ノ字ヲ用ユ。大サ三尺ニ至ル」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本重要水産動物図』解説・大日本水産会編・明治30年・NDL PID:1086762 コマ15・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

(53) すゞき 鱸ノ字ヲ用ユ。幼魚ヲせいごト云ヒ……ノ字ヲ用ユ。大サ三尺ニ至ル

現代語訳

(53) すずき。鱸の字を使う。幼魚を「せいご」といい、……の字を使う。大きさは三尺に達する。

「鱸ノ字ヲ用ユ。幼魚ヲせいごト云ヒ」とあって、字は鱸、幼魚はせいご、という書き方です。冒頭の絵は、この図鑑の第二図に描かれた53番の「すずき」です。良安の本では和名を須々岐、須受岐と漢字の音で書きあてていましたが、明治の図鑑はかなで「すずき」と書き、字のほうは迷わず鱸を選んでいます。

鱸

  • 読みは「すずき」。魚へんに盧、27画
  • 『本草綱目』は「黒色曰盧。此魚白質黒章、故名」
  • 白い地に黒い模様のある魚だから鱸
  • 江戸の日本では大きさで「せいご・はね・すずき」と呼び分けた

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大きさで名前が変わる魚の話は、ブリの出世魚の呼び名やボラの「とどのつまり」の記事でも読んでいます。ほかの魚へんの字は魚へんの漢字の由来の一覧へ。

この記事でわかったこと

  • 『本草綱目』は「時珍曰、黒色曰盧。

    此魚白質黒章、故名」、黒い色を盧といい、この魚は白い地に黒い模様があるので鱸と名づけた、と書いています(承応2年刊本・NDL PID:2556596 コマ73)。寺島良安『和漢三才図会』も同じ文を引いています(NDL PID:2596381 コマ31)。

  • 寺島良安『和漢三才図会』は「其三四寸者稱世比古、六七寸近尺者名波祢、尺以上至二三尺者名須受岐」、三、四寸をせいご、一尺近くをはね、一尺以上をすずきと呼ぶと書いています(NDL PID:2596381 コマ31)。明治30年の『日本重要水産動物図』も「幼魚ヲせいごト云ヒ」としています(NDL PID:1086762 コマ15)。

  • 『本草綱目』は中国の「淞江」を挙げ(NDL PID:2556596 コマ73)、寺島良安は日本では「雲州松江最多、而夏月特賞之」、出雲の松江にいちばん多く夏にとくに賞味すると書いています(NDL PID:2596381 コマ31)。

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