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魚へんの漢字

鰰の漢字の由来 魚へんに神のハタハタ、江戸では「雷魚」と書いた

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難易度 上級

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鰰

訓
はたはた
画数
20画
この記事の目次

秋田の冬の魚ハタハタは、漢字で書くと魚へんに「神」の「鰰」ですが、江戸の魚の図譜を開くと、この魚の見出しは「雷魚」になっていました。魚の名前に神さまの字が入った由来を探して古典籍を「鰰」で引いても、江戸の本は一冊も出てこず、この字がはっきり姿を見せるのは明治の地誌のなかで、それも土地の人が使う「俗」の字としてでした。

『梅園魚譜』の見開き。右ページに細長い褐色のハタハタ、腹は銀白色。右上に見出し「雷魚」
毛利梅園が写生したハタハタ。右上の見出しは「雷魚」。魚の左下に「丁酉二月九日 大舘仁山子送之真寫」、人から送られた実物を写した、とある。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚譜』・毛利梅園撰輯・NDL PID:1286914 コマ25・著作権保護期間満了)

「鰰」の基本データ

読み
はたはた(訓)
画数
20画
形
魚へんに「神」
江戸の字
「雷魚」。毛利梅園は、雷の声を聞くと海岸に群れるからと説明した
鰰の字
明治の『日本地誌提要』に「雷魚 俗ニ鰰字ヲ用ユ」
難易度
上級

読みと画数は Unicode の Unihan Database(U+9C30)による

鰰=魚+神うおへん神さまの神

梅園の見出しは「雷魚」、振り仮名はカミナリウヲ

国立国会図書館の次世代デジタルライブラリーで古典籍にしぼって「鰰」で引くと0冊、ところが「雷魚」で引くと103冊が出てきました。機械の読み取りが字を拾えないこともあるので、0冊は「ない」の証明にはなりませんが、手がかりは雷魚のほうにありそうだと見当がつきます。そのなかから魚の絵がある本として開いたのが、毛利梅園(もうり・ばいえん)の図譜『梅園魚譜』のコマ25、冒頭の図です。魚の左下には「丁酉二月九日 大舘仁山子送之真寫」と、人から送られた実物を写したことが書き入れてあります。

『梅園魚譜』の見出し「酉陽雑俎 雷魚 ハタハタ奥州 カミナリウヲ」と「釋名 神鳴魚」の大写し
見出しの大写し。右から「酉陽雑俎」、大きく「雷魚」、振り仮名「ハタハタ 奥州」「カミナリウヲ」。左の列は「釋名 神鳴魚 同上 波多々云々 同上」、その左に「岩魚 同上 此魚聞雷声則集」。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚譜』・毛利梅園撰輯・NDL PID:1286914 コマ25・著作権保護期間満了)

見出しは「雷魚」で、振り仮名が「ハタハタ 奥州」と「カミナリウヲ」の二つ、奥州ではハタハタ、そしてカミナリウオとも呼ぶ、という書き方です。続く名前の欄「釋名」には「神鳴魚」とあって、梅園はカミナリを「神鳴」と書いています。名前のわけは「此魚聞雷声則集于海岸為群、故名」、この魚は雷の声を聞くと海岸に群れ集まるのでこう名づけた、というもので、図の右下には、梅園がかなで書き入れたもう少しくわしい説明がありました。

『梅園魚譜』コマ25の右下の書き入れ「ハタハタ往古常陸水戸ニ産ス」から「佐竹ノ家ニ此魚付ル故也」までと翻刻
「ハタハタ 往古常陸水戸ニ産ス。今ハ出羽秋田ニ多ク産ス。此魚雷ノ聲アレハ好ンテ多ク集ル。故ニカミナリ魚ト云。首ノ中ニ釼アリ。他ノ魚ニハ釼骨ナシ。此魚佐竹侯参府ノ時ニハ江戸ニ向ツテ游行ス。佐竹帰府ノ年ハ佐竹ノ城ニ向テ行游スト云。佐竹ノ家ニ此魚付ル故也。」
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『梅園魚譜』・毛利梅園撰輯・NDL PID:1286914 コマ25・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む

翻刻

ハタハタ 往古常陸水戸ニ産ス。今ハ出羽秋田ニ多ク産ス。此魚雷ノ聲アレハ好ンテ多ク集ル。故ニカミナリ魚ト云。首ノ中ニ釼アリ。他ノ魚ニハ釼骨ナシ。此魚佐竹侯参府ノ時ニハ江戸ニ向ツテ游行ス。佐竹帰府ノ年ハ佐竹ノ城ニ向テ行游スト云。佐竹ノ家ニ此魚付ル故也。

現代語訳

ハタハタは、昔は常陸の水戸でとれた。今は出羽の秋田で多くとれる。この魚は雷の音がすると好んで多く集まる。だからカミナリ魚という。頭の中に剣(のような骨)がある。ほかの魚にはこの骨はない。この魚は、佐竹侯が江戸へ参府する時には江戸に向かって泳ぎ、佐竹侯が国へ帰る年には佐竹の城に向かって泳ぐという。佐竹の家にこの魚がついているからである。

「此魚雷ノ聲アレハ好ンテ多ク集ル。故ニカミナリ魚ト云」と、雷が鳴ると好んで集まるからカミナリ魚、と同じ理由を繰り返したあと、話は殿さまに及びます。昔は常陸の水戸でとれ、今は出羽の秋田に多く、秋田の殿さま佐竹侯が江戸へ参府する年には江戸のほうへ泳ぎ、国へ帰る年には佐竹の城のほうへ泳ぐ、という言い伝えで、そのわけを「佐竹ノ家ニ此魚付ル故也」、佐竹の家にこの魚がついているからだ、としています。あいだには、首の中に釼があって、ほかの魚には釼骨がない、という観察も挟まっていました。

漢文の本文にも「俗曰雷魚者佐竹侯之家魚也。先年領常州水戸、故至今少有之矣」とあり、雷魚は佐竹侯の家の魚で、先年は常陸の水戸を領していたので今も水戸に少しいる、と書いています。ハタハタは殿さまについて移った魚だ、という言い伝えを、梅園は名前のわけと一緒に書き留めていたわけです。

男鹿の「サタケウヲ」は雷のときにとれる

雷の話は梅園だけのものではなく、丹波修治の写本『物識河海産誌』にも短い項があります。見出しはカタカナの「ハタハタ」で、説明はわずか2列です。

『物識河海産誌』コマ34の見開き。右ページに見出し「ハタハタ」と2列の説明
『物識河海産誌』の「ハタハタ」の項。見出しはカタカナで、説明は2列だけ。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『物識河海産誌』7巻[1]・丹波修治・写本・NDL PID:2558623 コマ34・著作権保護期間満了)
『物識河海産誌』の「羽州ヲカノ島辺ニ多シ佐竹領」と「ル時多ク捕ル故ニ雷魚ト云」の大写し
右が「羽州ヲカノ島辺ニ多シ佐竹領(ニアリ……雷鳴ス)」、左が次の列「ル時多ク捕ル故ニ雷魚ト云」。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『物識河海産誌』7巻[1]・丹波修治・写本・NDL PID:2558623 コマ34・著作権保護期間満了)

出羽の男鹿の島のあたりに多く、佐竹領にいるので「サタケウヲ」とも呼び、「雷鳴スル時多ク捕ル。故ニ雷魚ト云」、雷が鳴るときに多くとれるから雷魚という、とあります。梅園は雷を聞くと集まると書き、こちらは雷のときにとれると書いていて、理屈は少しずれていても、名前の中心にあるのはどちらも雷でした。

明治の地誌に「俗ニ鰰字ヲ用ユ」

魚へんに神の字が見つかったのは、明治政府の正院地誌課が編んだ官撰地誌『日本地誌提要』(明治5〜10年刊)です。国ごとに地理や産物をまとめた本で、巻之三十五の羽後国、その物産の欄のコマ216に出てきます。

『日本地誌提要』巻之三十五の物産欄「雷魚 俗ニ鰰字ヲ用ユ 秋田河邊山本三郡沿海 男鹿尤モ夥シ」の大写し
活字の物産欄の大写し。右の列が「雷魚(ハタハタ) 俗ニ鰰字ヲ用ユ。秋田河邊山」、左の列がその続き「(本)三郡沿海。男鹿尤モ夥シ。下同。」。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『日本地誌提要』巻之三十五・正院地誌課編・明治5〜10年刊・NDL PID:762409 コマ216・著作権保護期間満了)

見出しはやはり「雷魚」で振り仮名はハタハタ、その下に小さく「俗ニ鰰字ヲ用ユ」とあって、世間では鰰の字を使う、と書いています。魚へんに神の字は、ここで土地の人が使っている字として記録されたことになり、とれる場所は「秋田河邊山本三郡沿海。男鹿尤モ夥シ」、秋田・河辺・山本の三つの郡の沿岸で、男鹿がいちばん多い、とされています。

この一文は、博物学者の伊藤圭介(いとう・けいすけ)も書き写していました。圭介が集めた魚の資料『錦窠魚譜』に、頭を上にしたハタハタの細長い線描と一緒に貼り込まれています。

『錦窠魚譜』コマ18の見開き。左ページに貼り込まれた細長い紙に、ハタハタの線描と書き入れ
『錦窠魚譜』の貼り込み。細長い紙に、頭を上にしたハタハタの線描。左の書き入れは「雷魚(ハタハタ) 羽後国俗ニ鰰字ヲ用ユ 秋田河辺山本三郡沿海男鹿尤モ夥シ 日本地誌提要三」。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『錦窠魚譜』[5]・伊藤圭介編・写本・NDL PID:2592263 コマ18・著作権保護期間満了)

書き入れの末尾には「日本地誌提要三」と出典まで書いてあり、圭介はハタハタの字の記録を、この地誌から取っていたことが分かります。

江戸の本はハタハタを雷魚と書いて雷と結びつけ、魚へんに神の鰰は、明治の地誌に羽後の土地の人が使う字として現れます。雷ではなく神の字になった理由については、梅園がカミナリを「神鳴」と書いているのがひとつの手がかりに見えますが、鰰の「神」がどこから来たのかを書いた原本は、今回は見つかりませんでした。

鰰

  • 読みは「はたはた」。魚へんに神、20画
  • 江戸の本はハタハタを「雷魚」と書いた
  • 毛利梅園は「此魚聞雷声則集于海岸為群、故名」
  • 「鰰」は明治の地誌に「俗ニ鰰字ヲ用ユ」。なぜ神なのかを書いた原本は見つかっていない

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同じように、江戸の本が別の字で書いていた魚は鯱の漢字の由来でも読めます。ほかの字は魚へんの漢字の由来の一覧へ。

この記事でわかったこと

  • 「神」の字の理由を書いた原本は、今回は見つかりませんでした。

    江戸の毛利梅園『梅園魚譜』はハタハタを「雷魚」と書き、釋名に「神鳴魚」を挙げ、「此魚聞雷声則集于海岸為群、故名」(雷の声を聞くと海岸に群れ集まるので名づけた)と説明しています(NDL PID:1286914 コマ25)。

  • 「雷魚」です。

    『梅園魚譜』の見出しは「雷魚」で、振り仮名は「ハタハタ」「カミナリウヲ」(NDL PID:1286914 コマ25)。丹波修治『物識河海産誌』も「雷鳴スル時多ク捕ル。故ニ雷魚ト云」と書いています(NDL PID:2558623 コマ34)。

  • 今回調べた範囲では、明治の官撰地誌『日本地誌提要』巻之三十五(羽後)の物産欄に「雷魚 俗ニ鰰字ヲ用ユ」とあるのが確認できました(明治5〜10年刊、NDL PID:762409 コマ216)。

    これより古い用例がないとは言えません。

この記事で開いた原本

どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。

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