鯨の漢字の由来 魚へんに京はもと「䲔」の別の書き方だった
この字、読めますか?
鯨
- 訓
- くじら
- 音
- ゲイ
- 画数
- 19画
この記事の目次
貝原益軒の『大和本草』でクジラの項を開くと、見出しは「鯨」ではなく「海鰌」、海のドジョウと書いてクジラと読ませています。クジラを漢字で書くと「鯨」、魚へんに「京」で、京は都の京であり、数の単位の「京(けい)」でもあるので、とてつもなく大きな魚だから魚へんに京、という説明を聞いたことがある人もいるかもしれません。ところが鯨の漢字の由来を江戸の学者の本でたどると、その説明はどこにも出てこず、かわりに雄と雌の字の区別や、もとの字の話が出てきます。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(一勇斎国芳「捕鯨の図」NDL PID:1305794 コマ2・パブリックドメイン)
上は一勇斎国芳の「捕鯨の図」に描かれた鯨とりで、沖の鯨と舟団、浜での作業が上下に描かれています。字の話は、平安時代に源順(みなもとのしたごう)がまとめた辞書『和名抄(わみょうしょう)』から始まりました。開いたのは、江戸後期の考証学者・狩谷棭斎(かりや・えきさい)がびっしり注をつけた『箋注倭名類聚抄』(明治16年刊)の魚の部、巻八で、次世代デジタルライブラリーの読み取りテキストを「鯨」で探すと、巻のはじめのコマ4に見出しが立っています。
「鯨」の基本データ
- 読み
- くじら(訓)/ゲイ(音)
- 画数
- 19画(魚へん11画+右側8画)
- 形
- 魚へんに「京」
- 由来
- 『説文解字』では海の大魚の字は「䲔」。鯨はその別の書き方として載る
- 江戸の字
- 貝原益軒の見出しは「海鰌」。海のドジョウ
- 難易度
- 初級
読みと画数は Unicode の Unihan Database(U+9BE8)による
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『箋注倭名類聚抄』巻第8・狩谷棭斎著・明治16年・NDL PID:991791 コマ4・著作権保護期間満了)
右ページが「魚」という字そのものの項で、そのすぐ次、左ページの頭に立っているのが「鯨鯢(げいげい)」の項です。大きな字が和名抄の本文、小さな二行の字が棭斎の注という組み方で、字の由来に関わる話はほとんど小さな字のほうに詰まっていました。
雄が鯨、雌が鯢
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『箋注倭名類聚抄』巻第8・狩谷棭斎著・明治16年・NDL PID:991791 コマ4・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
鯨鯢唐韻云、大魚、雄曰鯨(渠京反、久知良)、雌曰鯢(音蜺、……)
現代語訳
鯨鯢。『唐韻』にいう、大きな魚。雄を鯨(音は渠京の反切、和名はクジラ)といい、雌を鯢(音は蜺)という。
和名抄は中国の韻書『唐韻』を引いて、「大魚、雄曰鯨、雌曰鯢」、大きな魚で、雄を鯨といい雌を鯢という、と書き、鯨の字に渠京反という音の注をつけて、和名を「久知良(くぢら)」としています。もとは「鯨」一字ではなく、雄と雌で字が違っていたわけです。本文は続けて『淮南子(えなんじ)』を引き、「鯨鯢、魚之王也」、鯨鯢は魚の王である、とも書いています。
鯨は、もとの字「䲔」の別の書き方
字の成り立ちについては、和名抄の本文の下につけた棭斎の注が、中国の古い字書『説文解字(せつもんかいじ)』を引いて答えています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『箋注倭名類聚抄』巻第8・狩谷棭斎著・明治16年・NDL PID:991791 コマ4・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
說文、䲔、海大魚也。春秋傳曰、取其䲔鯢。又載鯨字云、䲔或从京。不載鯢字、別有鯢字云刺
現代語訳
(棭斎の注)『説文解字』に「䲔は海の大きな魚である。『春秋左氏伝』に〈その䲔鯢を取る〉とある」。また鯨の字を載せて「䲔は京に従う形にも書く」という。鯢の字は(ここには)載せず、別に鯢の字があって……という。
「說文、䲔、海大魚也」とあり、『説文解字』では、海の大きな魚の字は魚へんに「畺(きょう)」と書く「䲔」です。そのうえで「又載鯨字云、䲔或从京」、また鯨の字を載せて、䲔は「京」に従う形にも書く、と言っています。注はこのあいだに『春秋伝』の取其䲔鯢という句も挟み、鯢の字は説文の同じところには載っておらず別にある、とも書き添えています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『箋注倭名類聚抄』巻第8・狩谷棭斎著・明治16年・NDL PID:991791 コマ4・著作権保護期間満了)
『説文解字』の見出しの字は「䲔」で、「鯨」はその別の書き方として載っていたのであり、右側が「畺」でも「京」でも、同じ海の大魚を指す一つの字でした。京は大きいという意味だから鯨、という説明は今回開いた原本には出てこず、棭斎が書いているのは、鯨がもとの字「䲔」の別の書き方だということだけです。
寺島良安も「䲔本字」
寺島良安(てらじま・りょうあん)の絵入り百科事典『和漢三才図会(わかんさんさいずえ)』は、巻五十一「江海中無鱗魚」(海のうろこのない魚)の巻を鯨から始めています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『和漢三才図会』巻五十一・寺島良安編・江戸時代刊・NDL PID:2596382 コマ10・著作権保護期間満了)
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『和漢三才図会』巻五十一・寺島良安編・江戸時代刊・NDL PID:2596382 コマ10・著作権保護期間満了)
巻頭の絵は、波間から背を出す鯨です。その下の見出しは「鯨」で読みは「くじら」、音は擎とされ、すぐ横の注が「䲔本字」、䲔が本来の字である、というもので、棭斎の引く『説文解字』と同じ整理です。良安はほかの呼び名も並べていて、「海鰌」、それに「勇魚(いさな)」は『万葉集』の読みで「伊佐奈」、昔は魚をみな「な」と呼んだから、と説明し、和名抄と同じく「雄曰鯨、雌曰鯢」とも書いています。この注の二つめに挙がっている「海鰌」が、益軒の見出しの字です。
益軒の「海鰌」、海のドジョウ
宝永6年(1709年)刊の『大和本草(やまとほんぞう)』は、中国の本草の学問で日本の産物を一つずつ説明した本で、魚の巻、巻十三のコマ25にクジラの項があります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大和本草』第7冊 巻13・14・貝原篤信・宝永6年・NDL PID:2557359 コマ25・著作権保護期間満了)
見出しは「海鰌」で振り仮名は「クジラ」、鰌はドジョウの字です。見出しの上には「外」の印がついています。なぜドジョウなのかは、益軒が次のコマで書いていました。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大和本草』第7冊 巻13・14・貝原篤信・宝永6年・NDL PID:2557359 コマ26・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
萬子。異物志曰、雄為鯨、雌為鯢。○海鰌魚之最大者、泥鰌魚之最小者、雖大小不同、其形状相似。故以海鰌称ス。日本ニテ海鰌其品凡六種アリ。其内
現代語訳
……『異物志』にいう、雄を鯨とし、雌を鯢とする。海鰌(クジラ)は魚のうちいちばん大きく、泥鰌(ドジョウ)は魚のうちいちばん小さい。大きさは同じでないが、その形はよく似ている。だから(クジラを)海鰌と呼ぶのだ。日本ではクジラはおよそ六種あり――。
「海鰌魚之最大者、泥鰌魚之最小者」、海鰌(クジラ)は魚のなかでいちばん大きく、泥鰌(ドジョウ)はいちばん小さいが、「雖大小不同、其形状相似。故以海鰌称ス」、大きさは違っても形はよく似ているので海鰌と呼ぶのだ、という理屈です。その直前には『異物志』を引いて雄を鯨、雌を鯢とする説も書き、直後には日本の海鰌にはおよそ六種あると続けているので、益軒は字の話を、中国の本と日本で見られるクジラの両方から組み立てていたことになります。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大和本草』第7冊 巻13・14・貝原篤信・宝永6年・NDL PID:2557359 コマ25・26・著作権保護期間満了)
益軒はこの話を、巻十三のはじめのほう、川の魚が並ぶコマ9のドジョウの項でもくり返しています。
出典:国立国会図書館デジタルコレクション(『大和本草』第7冊 巻13・14・貝原篤信・宝永6年・NDL PID:2557359 コマ9・著作権保護期間満了)
翻刻と現代語訳をテキストで読む
翻刻
泥鰌(ドヂヤウ) 海鰌ハクジラ也。極テ大ナリ。泥鰌ハ極テ小也。ナレトモ形ハ相似タリ。……
現代語訳
泥鰌(ドジョウ)。海鰌はクジラである。きわめて大きい。泥鰌はきわめて小さい。けれども形はよく似ている――。
「海鰌ハクジラ也。極テ大ナリ。泥鰌ハ極テ小也。ナレトモ形ハ相似タリ」。いちばん大きな魚といちばん小さな魚が同じ形をしているという取り合わせを、益軒はおもしろがるように、クジラの項とドジョウの項の両方に書きとめていました。
京の字の理由は語られない
魚へんに京は、平安の辞書に引かれた『説文解字』の時点ですでに、海の大魚の字「䲔」の別の書き方として載っていて、良安も「䲔本字」とその整理を受け継いでいます。和名抄の雄と雌の区別、説文の別体、良安の本字の注、益軒の六種と、どの本も鯨の大きさを京の字そのものに結びつけてはいません。右側が京になった理由を今回開いた江戸の本は語っておらず、そのかわりに1709年の益軒は、いちばん大きなこの生き物を、いちばん小さな魚にちなんで海のドジョウと書いていました。
鯨
- 読みは「くじら」。魚へんに京、19画
- 『説文解字』では海の大魚の字は「䲔」。「䲔或从京」、鯨はその別の書き方
- 平安時代の辞書『和名抄』は「雄曰鯨、雌曰鯢」
- 貝原益軒はクジラを「海鰌」、海のドジョウと書いた
UOMEDIA|uomedia.jp
クジラの名前の話は、ザトウクジラの名前の由来の記事でも読んでいます。ドジョウの話はドジョウ養殖の歴史の記事へ。ほかの魚へんの字は魚へんの漢字の由来の一覧にまとめています。
この記事でわかったこと
江戸後期の狩谷棭斎は『説文解字』を引き、海の大魚の字は「䲔」(魚へんに畺)で「䲔或从京」、鯨はその別の書き方だとしています(『箋注倭名類聚抄』巻8・NDL PID:991791 コマ4)。
寺島良安『和漢三才図会』も見出し「鯨」に「䲔本字」と注しています(NDL PID:2596382 コマ10)。
平安時代の辞書『和名抄』は『唐韻』を引いて「大魚、雄曰鯨、雌曰鯢」、雄を鯨、雌を鯢としています(『箋注倭名類聚抄』巻8・NDL PID:991791 コマ4)。
『和漢三才図会』も同じく「雄曰鯨、雌曰鯢」と書いています(NDL PID:2596382 コマ10)。
貝原益軒『大和本草』は、クジラは魚でいちばん大きく、ドジョウ(泥鰌)はいちばん小さいが「其形状相似。
故以海鰌称ス」、形が似ているので海鰌と呼ぶ、と書いています(NDL PID:2557359 コマ26)。ドジョウの項でも「海鰌ハクジラ也……ナレトモ形ハ相似タリ」とくり返しています(コマ9)。
この記事で開いた原本
どれも国立国会図書館デジタルコレクションで、無料・登録なしで読めます。コマ番号から該当ページが開きます。
- 捕鯨の図
一勇斎国芳
- 箋注倭名類聚抄.巻第8
狩谷棭斎 著 1883
- 和漢三才図会 : 105巻首1巻尾1巻.[35]
寺島良安尚順 編 [江戸時代]
- 大和本草 16巻附録2巻諸品図2巻.[7]
貝原篤信 宝永6 [1709]
ほかの記事で使った本もあわせて見るなら記事で開いた原本の一覧へ。



